Archive for the ‘ブラック・ミュージック’ Category

Vol.8『Live At The London Palladium』/Marvin Gaye

2013-07-16

*Vol.8『Live At The London Palladium』/Marvin Gaye

 Robin Thicke feat. T.I.+Pharrell「Blurred Lines」が「Hot 100」を独走中だ(7/15現在5週連続1位!)。往年のディスコ・サウンドを彷彿とさせる感触が実に心地好い「Blurred Lines」だが、Michael Jackson「Don’t Stop ‘Til You Get Enough」(79年1位)を想起させる掛け声がフィーチャーされていたりして、よく耳を傾けてみると、様々なディスコ・ヒットのモチーフが聴こえてくるようで面白い。そんなモチーフの1曲として挙げられるのが、あの独特なパーカッションから想起される「Got To Give It Up(Part I)」(77年1位)!もちろんMarvin Gayeが歌った、堂々の全米ナンバー・ワン・ソングだ。

 「Got To Give It Up(Part I)」(邦題:黒い夜)が収録されたアルバムは、マーヴィンにとって生前最後のライヴ・アルバムとなった『Live At The London Palladium』(77年)だった。アナログLPで言うと2枚組、A、B、Cの3面がライヴ音源、D面が新曲としての「Got To Give It Up(Part I)」という構成。これは翌78年Donna Summerの大ヒットアルバム『Live & More』と同じ構成で、アルバムの1面すべてを使用してまるまる新曲1曲で占めるという(ドナの場合は「MacArthur Park」~「Heaven Knows」等の組曲だったが)、いかにもディスコ隆盛の時代ならではという感じだ。それにしてもこのマーヴィンのアルバムは、11分48秒に及ぶ「Got To Give It Up(Part I)」が圧巻過ぎる。前年リリースした『I Want You』が、性愛路線真っ只中という感触で、「Got To Give It Up(Part I)」はそれを継承したという捉え方もできるかとは思うが、時代の潮流を見据えたディスコ路線を強めたことは明らか。ただしファルセット一辺倒で押し通したこの曲に関しては、そんじょそこらのB級ディスコとは一線を画し、実にファンキー&ソウルフル!この時代のマーヴィンだからこそが醸し出せた、ブラックネス溢れる超一級のディスコ・ソウルに仕上がっている。よくよく考えてみたら、ディスコ隆盛の70年代後半に、明らかにディスコを意識したマーヴィン・レパートリーって、ほぼこの曲だけだったりするのだが(「I Want You」がちょっと近いけど)、ここはさすがマーヴィン!だよね。当時の「黒い夜」という邦題が、もしかしたらかなり言い得て妙、なのかも!?そして「Got To Give It Up(Part I)」を聴けば聴くほどに、77~79年時期のマーヴィンにもっとディスコ・ソウル路線の曲を歌ってほしかった…。超絶ファンキーな楽曲ができただろうな、と想像してしまうんだなあ。もちろん最早叶わぬ夢だし、こういう想像はキリがありません。それだけ「Got To Give It Up(Part I)」の衝撃が強かったのかもしれない…。

 ライヴ内容に関しては、A 面:70年代前半、B面:60年代ヒット・メドレー&70年代前半ヒット・メドレー、C面:デュエット・ヒット・メドレー、というもので、当然超一級ソウル・シンガーとしてのマーヴィンの歌声が堪能できる。スタジオ録音の新曲の印象が強すぎる、ライヴ名盤!

 

<チャート・データ>

アルバム『Live At The London Palladium』77年3位

シングル「Got To Give It Up(Part I)」77年1位


Vol.7 『Off The Wall』/Michael Jackson

2013-05-29

*Vol.7 『Off The Wall』/Michael Jackson

 Robin Thickeの新曲「Blurred Lines」feat. T.I. & Pharrellがやたらと気に入っている。Pharrellがかつて手掛けたJustin Timberlake「Rock Your Body」(03年5位)を彷彿とさせるディスコ・ソウルっぽさが充満するナイス・アップで、とにかく文句なしにご機嫌なことこの上ない。

 この曲の全編に敷かれている“ふお~”という合いの手が、Michael Jackson「Don’t Stop ‘Til You Get Enough」(79年1位)の冒頭で聴かれる“ふ~う”を想起させるのは、Pharrellの目論み通りかどうかはわからない(ついでに全編で敷かれるシンセ・パーカッションの音色も!)。

 ということでPharrellやロビンがモチーフとした「Don’t Stop ‘Til You Get Enough」を収録した、Michael Jacksonの最高傑作アルバム『Off The Wall』(79年)をピック・アップ!

 マイケルの最も売れたアルバム/最も有名なアルバムは『Thriller』(82年)であることは、もちろん誰も疑う余地はない。ではマイケルのアルバムで最も好きなのはどれ、という質問を投げかけると、多くのファンが『Off The Wall』と応えるのも事実だ。

 まず言えることは、『Off The Wall』が発売時点の79年における最上級のポップ・ソウル作品であるということ。そう、あくまでも『Thriller』や『Bad』(87年)は最上級のポップ作品であって、『Off The Wall』で醸し出される“ソウルの残り香”みたいなものは希薄であると言わざるを得ないのだ。この“ソウルっぽさ”のニュアンスは、主にマイケルの歌声/歌い方に起因するところが大きく、70年代までのマイケルは稀代のソウル・シンガーとしての力量を惜しげもなく披露していたし、送り手側の制作陣も基本的には“ソウル・ミュージック”(ポップな要素はあるにしても)を基盤に据えていたことは明らかだろう。Quincy Jonesとのタッグ以降、King Of Popたるメガ・スター化に拍車がかかるわけだが、『Off The Wall』というアルバムは、“ソウルっぽさ”の匂いとポップのスーパー・スター的なスタンスのちょうど過渡期的な時期であって、マイケルの歌声にギリギリ70年代的なソウル・シンガー然とした味わいが残っており、その辺の微妙な感触を感じ取った我々は、『Off The Wall』に大いなる魅力を見出しているのでは。要するに、マイケルがアンコンシャスに放つ“ソウルっぽさ”と、Quincy Jonesが創造する計算し尽されたポップ・ミュージックのひな形が、絶妙に同居したことによって生まれたケミストリーが、この時代ならではのワン・アンド・オンリーな輝きとなっている。『Thriller』以降のマイケルの歌唱において“ソウルっぽさ”の希薄は否めず、つくづく思うにこの絶妙さは『Off The Wall』だからこそなしえた奇跡と呼べるものなのだ!

 サウンド・プロデュースは前述通りQuincy Jones。Brothers Johnsonをスターダムに押し上げた実績を誇る彼のプロダクションに、まったく隙はない。そしてこのアルバムの楽曲は、とにかく駄曲がなく、マイケルはもとよりStevie Wonder、Louis Johnson(Brothers Johnson)、Paul McCartney、Carole Bayer Sager…珠玉かつ入魂の楽曲が揃う。中でも白眉はRod Temperton!クィンシーがHeatwaveから引き抜いたこの英白人の書いた「Off The Wall」、「Burn This Disco Out」は、ファンク/ディスコ/ポップ/ソウルの良さを一緒くたに混合した素晴らしい作品だ。「Off The Wall」に関しては、Heatwaveのヒット・ソング「Boogie Nights」(77年2位)の続編的味わいで、特にあのベース・ラインを耳にする度にぞくぞくしてしまう。

 最後にチャート的な話しを。『Off The Wall』からは4枚のシングルがカットされ、全てが「Hot 100」のトップ10入りを果たした。70年代までは、1枚のアルバムからカットされるシングルは多くてもせいぜい3曲という時代に、この実績はマイケルの人気の高さが尋常ではない証しでもある。綿密に調べたわけではないが、1枚のアルバムから4枚のシングルがすべてトップ40入りした初作品は、KC & The Sunshine Band『Part 3』(76年/「(Shake,Shake,Shake)Shake Your Booty」1位、「I Like To Do It」37位、「I’m Your Boogie Man」1位、「Keep It Comin’ Love」2位~ついでに「Wrap Your Arms Around Me」48位)で、4枚のシングルがすべてトップ10入りした初作品は、Fleetwood Mac『Rumours』(77年/「Go Your Own Way」10位、「Dreams」1位、「Don’t Stop」3位、「You Make Loving Fun」9位)だった。なので『Off The Wall』は、1枚のアルバムから4曲のトップ10シングルを生んだ2例目となっている。もちろんこの記録は『Thriller』(7枚のシングルがすべてトップ10入り)、『Bad』(7枚のシングルのうち6枚がトップ10入り)でもって、自らが破ったのだが。

 

<チャート・データ>

アルバム『Off The Wall』80年3位

シングル「Don’t Stop ‘Til You Get Enough」79年1位/ブラック1位/ディスコ2位

    「Rock With You」80年1位/ブラック1位/ディスコ2位

    「Off The Wall」80年10位/ブラック5位

    「She’s Out Of My Life」80年10位/ブラック43位


Vol.6『Adventures In The Land Of The Good Groove』/Nile Rodgers

2013-04-30

折しもDaft Punkの超話題の新曲「Get Lucky」が「Hot 100」の19位に飛び込んできて(5/4付)、Daft Punk史上初のトップ20ヒットが誕生したということで、Pharell Williamsと共にこの曲に大フィーチャーされているNile Rodgersに触れてみたくなった。「Get Lucky」でもあの印象的ギターを披露しているナイルだが、もちろんかの一世風靡したChicの重要メンバーであったことは周知の事実だろう。実は彼のソロ・アルバムは、83年と85年にリリースされた計2枚が残されてるが、ここでは初ソロ作『Adventures In The Land Of The Good Groove』(83年)についてスポット・ライトを当てたい。

 83年のナイルといえば、Chicの盟友ベーシスト、Bernard Edwardsと共にプロデューサー・チームを組んで(あるいは単独で)、既に他アーティストを手掛けて、ヒット・メイカーとして認知されていた頃。大きなヒットになったのはSister Sledge(79、80年)、Diana Ross(80年)等だったが、一方で本体Chicは80年以降どんどん失速して80年代最後のアルバム『Believer』のリリースが奇しくも83年だった。本作『Adventures~』が83年3月リリースで、David Bowie「Let’s Dance」のチャート・インとほぼ同時期。「Let’s Dance」以降、Duran Duran、Madonnaを筆頭にさらなるポップ・ヒットを連発するわけで、この『Adventures~』は、ナイルがモンスター・プロデューサーとして君臨する直前のアルバムということがわかる。

 基本的には打ち込みを中心とした楽器は全てナイルが担って制作され、Chicでも披露していたあのヘタウマ・ヴォーカルも全曲で聴ける。ナイルのトレード・マークであるキラキラ・ストラトキャスターから繰り出される印象的なカッティング・ギター・サウンドはとにかくフィーチャーされまくっているが、表題曲や「Yum-Yum」、「Get Her Crazy」あたりは結構派手な作りではあるものの、当然Chicとは一線を画したどことなく実験的なサウンドという印象を受けざるを得ない。要は全曲83年という時代の空気感を反映したちょっと“ダサい”ファンク系の作品群が並ぶということ。ファンク・バンドにとっての打ち込み過渡期というこの時期は、(一部Cameo、Midnight Star、Dazz Band等を除いて)ポップに振り切るわけでもなく、真っ黒なド・ファンクに寄るわけでもなく、実に中途半端なファンクになってしまう傾向があったが、ナイルもこの打ち込みの振り切り方は試行錯誤していたのではないだろうか。どうしてもプロデューサー・アルバムって、実験作になりがちな傾向があって、実につまらない(売れない)作品が多いが(80年代ならばLeon Sylvers、FM2とか)、インスト(楽器)に拘った痕跡の見えるナイル作品もご多聞に漏れなかったということか。ある意味若干低迷していた時期の作品ということも言えるが、とにかくこのナイル初ソロ・アルバムはまったく売れなかった。まあ、実験的サウンドという印象を受けてしまうのと、全編ナイルのヴォーカルという点が敗因なのか(笑)。ただし、「Yum-Yum」、「Get Her Crazy」、実にChicらしい「Rock Bottom」、同じくChicらしいスロウ「My Love Song For You」等は、突き放すには惜しい曲だったりして、Chic作品に聴かれるスタイリッシュ・ファンクだったり、他アーティストに聴かれるポップ・フィーリングは感じられないものの、ダサかっこいい愛すべき曲でもある。ナイルのやりたかったことと、Chicサウンドを融合させた怪作といったらいいのかもしれない。当時も今もまったく話題にならない作品だけど、そう、なぜか愛着の湧いてくる不思議なアルバムなんだよなあ。

 

<チャート・データ>

無し


Vol.5『Never Too Much』/Luther Vandross

2013-03-27

 先日放送のFM横浜「Travelin’ Light」内“Hits Box”にて、お彼岸にちなんで“天国にいるスーパースター”特集をやったのだが、時間の都合上触れられなかったのがルーサー・ヴァンドロス。惜しくも05年にこの世を去った稀代のソウル・シンガー、ルーサーの名盤『Never Too Much』(81年)を紹介したい。

 シングル「Never Too Much」を初めてラジオで耳にした時の衝撃は、今だ忘れられない。非常に表現するのが難しいのだけど、懐かしさの中にこれから何かが始まる新しさを感じたというか、新しさの中に歌声が擁する安心感を醸し出す懐かしさを感じたというか…。胎動を始めていた“ブラコン・ムーヴメント”が、一気にルーサーを中心に回り出す予感がひしひしと伝わってくるような、それはもう大いなる興奮を禁じ得ないものだった。ブラック・ミュージック(広い意味でのポップ・ミュージックも)を聴く際の大きなポイントでもある“革新性と伝統性の絶妙な同居”を、理想的な形で成しえた奇跡の1曲と言えるのではないだろうか。

 彼の歌声の革新性は、汗を感じさせないのに黒いソウル・マナーをしかっりと踏襲したヴォーカル・スタイルにつきる。ざっくり言ってしまえば、それまでのR&B(ソウル)シンガーは“汗”や“唾”を感じさせる真っ黒なヴォーカル/演奏というイメージであったものを、ルーサーは独自のスムーズな唱法を駆使しながら“汗”を感じさせることなく、同時に伝統的ソウル歌唱スタイルを備えるという、これはもう離れ技としか言いようのない新しいスタイルを提示してしまったのだ。もちろん50年代から“汗”を感じさせないソウル・シンガーは存在していたが―ナット・キング・コール、ジョニー・マティス、ルー・ロウルズ、ダニー・ハザウェイ等々…―これらの人々はソウル・マナーから逸脱した、いわゆるバラディア的な範疇に位置するものだったわけで、ルーサーほどにソウル・シンガー然としたスムーズ唱法を繰り出したシンガーはほぼ皆無だったと言えよう。彼が本来持つワン&オンリーな“喉”の素晴らしさに拠るところが大きいのだろうが、「Never Too Much」で披露されたこの革新性と伝統性の絶妙な同居は、見事にブラック・コミュニティの心を鷲掴みにしたのだ。

 この一歩間違えれば“ブラコン”の一言で片づけられてしまわれそうな作品は、ルーサーの歌声とマーカス・ミラー&ナット・アダレーJrを中心とする腕利きミュージシャンたちの存在ありきで、80年代R&Bの潮流を一気に手繰り寄せた感を抱く。蠢き始めていたブラコン・ムーヴメント、ニュー・ヨーク・サウンドの台頭、後のハッシュ・プロダクションの波(フレディ・ジャクソンが筆頭)、さらにはクワイエット・ストーム隆盛(アニタ・ベイカー、ジェラルド・アルストン、キース・ワシントン等)といった80年代の潮流を方向付けた1曲こそが「Never Too Much」である。そういう意味では、808サウンドの決定打となったマーヴィン・ゲイ「Sexual Healing」(83年3位)と共に、80年代前半の最重要R&Bソングとも言えよう。

 アルバム『Never Too Much』は表題曲の他にも、ダンスクラシック定番かつマーカス・ミラーのベースが炸裂したフロア・アンセム「She’s A Super Lady」、かつてチェンジ(Change)でヴォーカル参加した「Searchin’」(80年ブラック23位)を彷彿とさせる「I’ve Been Working」、やはりご機嫌なフロア対応チューン「Sugar And Spice」、バカラック・クラシック「A House Is Not A Home」等々、全曲において縦横無尽なルーサーのヴォーカルは聴き逃し厳禁だ。聴けば聴くほどに、この時代ならではの演奏とヴォーカルの理想的融合が、高い次元でのケミストリーを誕生させたことが手に取るようにわかること請け合い。無神論者でも、神に感謝せざるを得ない。

 ルーサーは70年代にLutherというグループ名義で『Luther』(76年)、『This Close To You』(77年)という2枚のアルバムを残していたり、先述のチェンジを筆頭に数々のプロジェクトでその歌声を残していて、80年代に花開くワン&オンリー唱法の片鱗は見せている。特にルーサー名義の2枚目や、トップ40ファンにもお馴染みチェンジ「The Glow Of Love」(80年ブラック49位/ジャネット「All For You」(01年1位)の元ネタ)なんぞは超逸品であるが、全ての粋が集まった奇跡的な『Never Too Much』は、やはりルーサー最高の1枚だ。

<チャート・データ>

アルバム『Never Too Much』81年19位

シングル「Never Too Much」81年33位/ブラック・シングル1位/ディスコ4位

    「Don’t You Know That?」82年ブラック・シングル10位

    「Sugar And Spice」82年ブラック・シングル72位


*Vol.4-2/2 『III」/Gap Band

2013-03-13

 (前回からの続き)

Gap Bandは既に74年にはアルバム・デビューを果たしていたけど、いわゆる80年代型の“ファンク”に傾倒していくのが70年代後半から。メジャー配給のアルバム『Gap Band』(79年)からの「Shake」、続く『II』(79年)からの「Steppin’」「I Don’t Believe You Want To Get Up And Dance(Oops、Upside Your Head)」といった目の覚めるような激へヴィ・ファンク曲をドロップ、ヒットさせていく。特に「Oops,Upside Your Head」は、全面降伏せざるを得ないメガトン級パンチ!全編を貫く煌びやかなシンセ・ハンド・クラップと重低音ベースを軸にしたこの骨太な長尺ファンク・トラックは、まさに80年代ファンクの夜明けを高らかに宣言するに相応しいアンセムと化した。エレクトロ・ヒップホップ風な間奏のキーボードも効果的、全編ラップ風歌唱と“へへっ”のしゃくりあげ合いの手のみに終始するチャーリーのヴォーカルにKOされない人はいないのでは。96年にSnoop Doggy Dogg(当時の名称)が「Snoop’s Up Side Ya Head」として本家チャーリーを迎えてリメイクしたのも大いに頷けるってものだ。いずれにしろこの曲のヒットで(80年ブラック4位)、ファンクなGap Bandのイメージは決定的となった。

 そんな新たなファンクの旗手として期待されていた中でリリースされたのが、この『III』(80年)というわけだ。アルバムに先駆けてリリースされたシングル「Burn Rubber(Why You Wanna Hurt Me)」(81年84位/ブラック1位)、これこそが80年代ファンク群の中でも金字塔のごとく輝く永遠のフロア・アンセムとして踊り継がれている超へヴィ・パンチだった!何度この曲で踊ったことか!何度この曲をDJプレイしたことか!何度この曲でフロア内昇天したことか!(笑)

当時も今も、この曲を耳にする瞬間脳内アドレナリンが洪水のように押し寄せ、到底冷静に聴くことのできない楽曲のひとつだ。車のエンジン音~急発進タイヤSE~うねるシンセ・ベース~ハンド・クラップ風シンセ…計40秒弱の完璧なイントロ、ここだけで昇天確実。楽曲自体も、あくまでも重心の低いへヴィネスを前面に押し出して、人力によるトラックを基本に敷きながら、シンセ・ハンド・クラップを打ち込み風に聴かせるという典型的80’sファンクを見事に体現。本当に何度聴いても我を忘れてしまう。チャーリーの歌声も、終始スティーヴィー・スタイルが炸裂!特にサビにおける抑え気味の低音シャウトなんぞは、スティーヴィー本人がのり移ったのではと思わせるほど。

いずれにせよGap Bandは、この奇跡的名曲をもってして、この時点での初の「Hot 100」エントリー、及びブラック・シングル制覇を果たしたのだ。

そんな昇り調子モードなGap Bandにとって、アルバムからのセカンド・シングル「Yearning For Your Love」が、さらなる高みへと導くことになる。怒涛のファンク攻勢直後に放たれたシングルが、超弩級メロウ楽曲!しかも並大抵のメロウ曲じゃない。超がつくほどの普遍的メロディを擁する、高い次元で語るべきメロウ・スロウ名曲だったりする。当時のファンク・バンドのアルバムには、必ず1~2曲は耳を奪われるようなスロウ・バラッドが収録されていたものだが、この曲はそういったスロウ曲の中でも、永遠に色褪せない何かを持っている素晴らしい作品だと断言してしまいたい。事実「Hot 100」においてGap Band史上最高位を更新(81年60位、ブラック・シングルは5位)、この曲がブラック層のみならず広く全米の人々への間口を広げるような突破口の役目を果たしたことがわかる。さらに90年代に入ってからサンプリング・ソースとして重宝されたことも、何をかいわんやという感じだ。ただしサンプリング・ソースという意味では、次のアルバム『IV』(82年)収録の「Outstanding」の使用頻度には及ばないのだが。

本アルバムからのもうひとつのシングルが「Humpin’」で、これがまた80年代ファンクを立派に体現した楽曲のひとつで、ある意味「Burn Rubber」以上にドス黒い世界が広がる、激へヴィなクール・ファンクに仕上げている。

さらに収録曲「Gash Gash Gash」!早回し人声SE共々Pファンクの匂いを漂わせながら、ひたすら反復の美学から生まれるファンクネスに拘った、これまた真っ黒けな怒涛のファスト・ファンク。アルバム全体の充実度を鑑みれば、まさしくこの頃のGap Bandは、手の付けようがないくらいに突っ走っていたし、大衆感を携えた黒いファンクネスを体現することに関しては、他の追随を許していなかった。

セールス的には「Early In The Morning」「You Dropped A Bomb On Me」という2大トップ40ヒットを放った次作『IV』には及ばないものの、『III』も実はミリオン・ヒットを記録。80年代ファンクの理想形が詰まった本作をもってして、Gap Band(及びチャーリー・ウィルソン)はアフリカン・アメリカンのヒーローになったのでした。


*Vol.4‐1/2 『III』/Gap Band

2013-03-08

チャーリー・ウィルソンの最新アルバム『Love, Charlie』が先日ビルボードのアルバム・チャートで4位を記録、40年選手のベテラン・シンガーが気を吐いた。もちろんこのチャーリーは70年代から80年代にかけて人気を博したファンク・バンド、ギャップ・バンドのリード・シンガーで、90年代以降はソロ・シンガーとしてブラック・コミュニティから絶大な支持を得ている稀代のソウルフルな歌い手だ。このスティーヴィー・ワンダー直系、そして“ヴォイス・オブ・ガイ”アーロン・ホールへと継承された、ソウルフルなこねくり&しゃくりあげ歌唱の使い手、チャーリーが在籍していた“80年代ファンク”隆盛の一角を担ったギャップ・バンドの名盤『III』(80年)を熱く紹介したい。

 ギャップの話しの前にチャーリーの立ち位置というか過小評価気味な彼の功績について述べたい。最新アルバムにおいても彼独特な、しゃくりあげ唱法や“シャバダバ、ドゥイドゥイドゥ~”のフレーズもまだ健在だったのが嬉しい限りだったが、チャーリーといえば再三指摘されている通り、スティーヴィー・ワンダー直系のソウルフル・シンガー、一貫してその歌い方は基本的に変わっていない。

 ソウルの歴史を紐解けば、何人かのレジェンドを根幹とする唱法が脈々と継承されている。ゴスペル・シンギング、サム・クック、ジェイムス・ブラウン…特にソウル・ミュージックの礎を切り開いたサムの影響は大きく、ボビー・ウーマックやジェラルド・アルストン等々、フォロワーは枚挙に暇がない。もちろんスティーヴィーは根幹からの派生シンガーとして捉えられるが、あの特徴的唱法・シャウトに、80年代以降フォロワーが出現し始めるという現象が起こる。特に顕著だったのが90年代前半のニュー・ジャック・スウィング(NJS)・ムーヴメントに伴う新人男性ヴォーカル・グループ大隆盛の時期だ。おそらくこの頃にデビューしたグループのメンバーたちの幼少期~青春期において、崇拝すべきアイドルとしてスティーヴィー・ワンダーはあまりに大きな存在感を示していたのだと思われる。それほどまでに90年代前半にデビューした一連の男性コーラス・グループのリード・シンガーには、スティーヴィー・フォロワーが多く存在していた。デビュー曲「Knockin’ Da Boots」(93年3位)が大ヒットしたHタウンのリード、ディノなんぞは典型例と言えよう。ここで私が声を大にして言いたいのが、このようなスティーヴィー~NJS系ヴォーカル・グループという系譜の間には、二人の忘れてはならないシンガーが存在しているということだ!

スティーヴィー~チャーリー・ウィルソン~アーロン・ホール~NJSシンガー

スティーヴィーのくだりが長かったけど、ようやくチャーリーの登場となる。

70年代後半からスティーヴィー直系の歌声を惜しげもなく披露していたチャーリー。そのチャーリーをヒーローと崇めるシンガーこそが、NJSの創始者テディ・ライリー率いるガイのリード・シンガー、その名も“The Voice Of Guy”アーロン・ホールなのだ!ガイの革新性を伴った衝撃的デビュー(88年)は、もちろんテディ・ライリーの手腕に拠るところが大きかったのは異論をはさむ余地がない。ただしその成功と後の雨後の竹の子のごとく出現した“NJSフォロワー現象”は、、アーロン・ホールの存在抜きには語られない。アーロンの鬼気迫るハード・シンギングは、あの独特なNJSビートにエモーショナルかつクールな空気を盛り込み、ダンス・フロアでの機能性を2倍にも3倍にもする役割を果たしていた。90年代前半のヴォーカル・グループ群のリード・シンガーたちは、少なからずNJSの影響下にあるのは明白で、(コンシャスかどうかは別にして)すなわちはアーロン・ホールのフォロワー的立ち位置にいるということだ。延いてはチャーリー・フォロワーと解釈できるもので、90年代以降のチャーリー再評価、あるいはポイント毎でのコンテンポラリー・アーティストによる起用に関しても、どことなく合点がいく。まさしくブラック・コミュニティから絶大な支持を得ていたギャップ・バンド~チャーリー・ウィルソンは、だからこそ80年代後半から90年代に出現してきた若きブラック系シンガーたちに目に見えてあるいは見えない含め、いつの間にか大きな影響を与えていたのだ。そういう意味では、チャーリーはもっともっと評価されてもいいシンガーである。(続く)


Vol.3 『C’est Chic』/Chic

2013-02-22

武田さんのナイル・ロジャースのライブ・リポートを読んだら、どうしてもこのアルバムに触れたくなった。70年代後半から80年代にかけて活動していた、ブラック・ミュージックの歴史上において非常に重要なバンド、シックの大出世アルバム『C’est Chic』に!

 78年11月に発売されたニュー・ヨークのバンド、シックのセカンド・アルバムが『C’est Chic』。ジャケットに写っているのは、男性3人と女性2人で一応5人組グループの体裁となっているけど、実質上はナイル・ロジャース(ギター)とバーナード・エドワーズ(ベース/ヴォーカル)を中心に、ドラマーのトニー・トンプソンが据えられた3人組バンドみたいなものだ。ファースト・アルバム『Chic』(77年)からヒットした「Dance, Dance, Dance(Yowsah, Yowsah, Yowsah)」(78年6位)、「Everybody Dance」(78年38位)を耳にしていた時点では、ほとんどの人が(スタイリッシュなファンク・テイストを感じ取れはしたが)一過性のディスコ・バンドくらいに捉えていたように思う。しかしこのセカンドからの先行シングル「Le Freak」、及びアルバムを聴いた瞬間、時代を創り出す波がグッとシックに寄り添ってきたと感じた人が多数なのではないだろうか。それほどこの『C’est Chic』、というか「Le Freak」は衝撃的な革新性を伴っていたと確信する。世を席巻していたディスコの味付けは残しつつも、イースト・コーストの雰囲気と欧州ダンサブル・テイストを絶妙に醸し出し、一聴してナイルのギターとわかるあの特徴的カッティング/ズレそうでズレないバーナードのファンキー・ベース、どこかスノビッシュながらも大衆に訴求するポップなメロディ・センス…すべてが混然一体となって迫り来る結果、“シック・サウンド”がこの時点で完成されていたことは間違いない事実だ。78年といえば、ディスコ全盛真っ只中ではあったが、ダンス・ミュージックの潮流がディスコからファンクへ、さらにはその先の広い意味での(ブラック系)ニュー・ヨーク・サウンド(さらにさまざまな枝分かれが為されるが)へと移行する前夜みたいなもので、シックがこのムーヴメントに与えた影響は計り知れない。シックはこの『C’est Chic』をもってして大衆音楽界に新たな潮流を作りだしてしまったわけだ。「Le Freak」と「I Want Your Love」の大ヒットが、翌年のシスター・スレッジの復活へとつながり(「He’s The Greatest Dancer」79年9位、「We Are Family」79年2位)、一気にポピュラー・ミュージック界は“シック・サウンド”を求めて“シック詣で”現象を引き起こしたのは当然の結果であろう。実際80年代後半までに、ダイアナ・ロス、デボラ・ハリー、マドンナ、デヴィッド・ボウイ、デュラン・デュラン、インエクセス、果てはB-52’s等々に至るまで、ナイル・ロジャース&バーナード・エドワーズがプロデュースしたヒット作品は枚挙に暇がない。サード・アルバムからのヒット「Good Times」(79年1位)が後の大衆音楽(特にヒップホップ!)に与えた影響も多大なものがあるが、“シック・サウンド”の礎が築かれた作品という意味では、やはり『C’est Chic』はグループ・レパートリーの中では最も重要なアルバムなのだ。

 女性コーラスが添えられるもののほぼインストでナイルのギターが思う存分堪能できる衝撃の「Chic Cheer」(フェイス・エヴァンス「Love Like This」のサンプリング・ソース!)で幕を開ける本作、欧州風味なインスト・ジャジー・ダンサー「Savoir Faire」、バーナードのヘタウマヴォーカルがかえって良い味を滲みださせる「Happy Man」「Sometimes You Win」、スロウにして反復の美学が敷き詰められた「At Last I Am Free」、汗を感じさせない新感覚なスタイリッシュ・ファンク「(Funny)Bone」…バラエティに富んでいそうで実は統一性のある一貫したオリジナリティを感じさせるアルバムで、まさしくこれこそが“シック・サウンド”の誕生だったわけだ。ちなみに78年11月25日付の「Hot 100」にて、「Le Freak」が37位から6位にジャンプ・アップするという、当時にしてはあり得ないチャート・アクションに大興奮した「全米トップ40」リスナーはかなり多く存在しているはずで、今だ語り草になっているとか。

<チャート・データ>

アルバム『C’est Chic』78年4位

シングル「Le Freak」78~79年6週1位/ブラック・シングル1位/ディスコ1位

    「I Want Your Love」79年7位/ブラック・シングル5位/ディスコ1位


『GUY』/Guy

2013-01-20

そもそも音楽を聴く動機というのは、もちろん人それぞれでしょうが…ことブラック・ミュージックに関しては、伝統を継承したヴォーカルの力強さ、ブラックにしか醸し出せないグルーヴといったものに加えて、“時代の潮流を一気に変える革新性”も外せない要素のひとつです。少なくとも私にとってはそうなんです。これはブラックに限った話ではないかもしれませんが、ロック・エラにおける大衆音楽の歴史に、ブラック・ミュージックが与えた革新性(新たなムーブメントの胎動)は非常に大きな役割を果たしてきたことも確かでしょう。

(さらに…)


『ZAPP II』/Zapp

2013-01-13

初めまして、KARL南澤です。良い音楽をひとりでも多くの人に伝える、そんな仕事をしている音楽ジャーナリスト/プロデューサーです。

この度本HPにて、“ブラック・ミュージック系アルバム、この1枚”という題目で、歴史的にも、そして私個人的にも紹介したい作品を毎回1枚ピック・アップして、一節唸らせていただくという、僭越極まりないコラムを書かせてもらう運びとなりました。ちょっとだけお付き合い願えると嬉しいです。

(さらに…)


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