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新旧お宝アルバム!#115「Body Heat」Quincy Jones (1974)

time 2018/03/12

2018.3.12

新旧お宝アルバム #115

Body HeatQuincy Jones (A&M, 1974)

先週のアカデミー賞発表ではギエルモ・デル・トロ監督の『The Shape Of Water』が作品賞・監督賞他計4部門を受賞して、2004年第76回アカデミーの『ロード・オブ・ザ・リング~王の帰還』以来のファンタジー作品による作品賞受賞に沸き返りました。ああしてみるとやっぱり映画っていいなあ、と思ってしまいます。作品賞ノミネートの映画、今回は一つも見てないのでボチボチ見ていかなきゃ、と思う今日この頃。

さて外は着実に春に向かう中、先週お休みしてしまった今週の「新旧お宝アルバム!」は、90年代シリーズからちょっと離れて久しぶりに70年代に行ってみたいと思います。ちょうどベトナム戦争が終わり、公民権運動の名残も落ち着いて、建国200年を目前にアメリカが豊かで明るい時代に突入していた頃、アメリカの音楽シーンも多くのミュージシャン達がその音楽スタイルを少しずつ変貌させていた時代。そんな時、後に『スタッフ・ライク・ザット』(1978)、『愛のコリーダ (The Dude)』(1981)により一気にブラック・ミュージックのメインストリーム化を推し進め、マイケル・ジャクソンの『Off The Wall』(1979)『Thriller』(1982)『Bad』(1987)といったメガアルバムのプロデュースで名実ともにアメリカのポピュラー音楽界に君臨することとなるクインシー・ジョーンズが、それまでのジャズや映画TV音楽作曲から、一気にソウルR&Bへ接近して上記のような後のキャリア展開への基礎を築いた重要作品、『Body Heat』(1974)をご紹介します。

トレイルブレイザー(trailblazer)という言葉をご存知でしょうか。

荒れ地や未開の森林などの道なき道(trail)を進みながら後に続く者達のために目印を付けていく(blaze)者、ということでその分野の先駆者、日本語でいうと「パイオニア」に当たる言葉で、アメリカではそうした分野の先駆者を称える時に頻繁に使われる言葉です。

クインシー・ジョーンズというと、どうしても『愛のコリーダ』やマイケル・ジャクソンとの80年代の仕事のイメージが強い方が多いと思われ、最初からポピュラー系ブラック・ミュージックの世界の大御所と思われがちですが、クインシーは正に黒人音楽界を代表するトレイルブレイザーとして、60年代後半~70年代にかけて白人中心社会だったポピュラー音楽界に多くの足跡を残した実績をもっと高く評価すべきミュージシャンでありアレンジャー・プロデューサーだったのです。

シカゴのサウス・サイドのごく普通の黒人家庭に生まれ育ったクインシーが、ティーンエイジャーの頃から音楽に没頭してその高校や大学で才能を磨き、バークレー音楽院への奨学金を得たことによって大きく道を開かれて、卒業後は当時既にジャズの大御所だったライオネル・ハンプトンのバンドのトランペット奏者としてプロ入り。1950年代をジャズの世界で過ごしている中、1960年に当時のマーキュリー・レコード社長のアーヴィング・グリーンに認められて同レーベルNYの音楽ディレクターに就任。

1964年にはクインシーに映画監督のシドニー・ルメットが自分の映画『質屋(The Pawnbroker)』の音楽を頼み、これのヒットで次のフェーズに。

ここから60年代~70年代初頭にかけてシドニー・ポワチエ主演の『夜の大捜査線(In The Heat Of The Night)』(1967)、ゴルディー・ホーンアカデミー助演女優賞受賞の『サボテンの花(Cactus Flower)』(1969)、スティーヴ・マックイーン主演の『ゲッタウェイ (The Getaway)』(1972)などなど計33本の映画音楽を手がけた他、『鬼警部アイアンサイド』『The Cosby Show』など数々のTV番組の音楽も担当。一気にジャズの世界からポピュラー音楽の世界にその存在感を高めました。

1968年のアカデミー賞ではアフリカ系アメリカ人として初の最優秀オリジナルスコア部門でのアカデミー賞ノミネート、1971年にはアフリカ系アメリカ人として始めてアカデミー賞授賞式の指揮者を務めるなど、この時期のクインシーはトレイルブレイザーの面目躍如たる活躍ぶりでした。

その彼が70年代に入りジャズやポピュラー音楽ではなく、急速にソウルR&Bの世界に接近していった多分一つの理由がスティーヴィー・ワンダーの活躍。

高校時代レイ・チャールズと同級生だったクインシーは、新しい世代のアフリカ系アメリカ人の音楽表現者としてのスティーヴィーに感銘したのでしょう、自らもよりソウルR&B寄りの楽曲を含むアルバムを制作しはじめ、1973年にリリースした『You’ve Got It Bad Girl』では自らのそれまでの作品のジャズっぽいリメイクに加え、スティーヴィーの『トーキング・ブック』(1972) から「迷信」とアルバムタイトル曲「You’ve Got It Bad Girl」を取り上げていました。

その彼が満を持してリリースしたのが、「ソウル・ジャズ」というその後70年代の一つのトレンドを作り出した作品となったこの『Body Heat』。

バックにはデイヴ・グルーシン、ハービー・ハンコック、ボブ・ジェームズ、リチャード・ティー等などジャズの名うてのミュージシャン達に加えて、その後ソウルR&Bの世界で大物となるリオン・ウェア(R&Bシンガーでマーヴィン・ゲイI Want You」の作者)やミニー・リパートン、アル・ジャロウといったボーカリスト達を配して「ソウルっぽいジャズ作品」ではなく、ソウルとジャズが渾然一体となった作品を作り出したのです。

冒頭のアルバム・タイトル・ナンバーから、リオン・ウェアのボーカルを、ミニー・リパートンを含むバックコーラスが寄り添うようにサポートする、紛れもない70年代R&Bの意匠満点の楽曲展開。バックでは多分デヴィッド・T・ウォーカーと思われるR&Bの歌伴的に出入りする匠のギター・フレーズや、デイヴ・グルーシンによるアープ・シンセの音色がスティーヴィー・ワンダーの70年代作品のような雰囲気を醸し出します。

続く「Soul Saga (Song Of The Buffalo Soldier)」でも切れ味鋭いギター・リフをバックに基本ワンコードで延々とエスニックなリズムを展開するグルーヴ満点の楽曲。ここでソウルフルなボーカルを聴かせるのはセッション・ボーカリストとして名高いジム・ギルストラップ

ぐっとアフターアワーズっぽくスローダウンした哀愁感漂うメロディに乗って作者でもあるバーナード・アイグナーのボーカルが聴ける「Everything Must Change」は、後にジョージ・ベンソンランディ・クロフォードらがカバーした今ではソウル・クラシックと言っていい有名曲。アイグナーはこの直後あのマリーナ・ショーの名盤『Who Is This Bitch, Anyway?』(1974)のプロデュースでR&B界に大きな足跡を残すシンガーソングライター(残念ながら昨年72歳で他界)であり、このアルバムで彼をいち早く起用したクインシーのセンスは、この後自分のアルバムでジェイムス・イングラムタミアといった新進シンガーを紹介し続けた実績にもつながっているものです。

アルバムA面はこの後またブラスとギター・リフが交互に登場して、70年代中期のアース・ウィンド&ファイヤークール&ザ・ギャングっぽいダウン・トゥ・アースなファンキー・ナンバー「Boogie Joe The Grinder」を先ほどの「Everything Must Change」の短いリプリーズ・バージョンが挟んで静かに終了。

アルバムB面はクインシーリオン・ウェアの共作「One Track Mind」でスタート。このアルバムでも比較的ジャズ寄りの楽曲ですが、ブラスをフィーチャーしたスローファンクのこのナンバー、延々とバックコーラス隊が出入りして歌うR&B的スタイルはここでも明確。イントロのギターは聴いた瞬間にエリック・ゲイルと分かる「Just A Man」もまた後のクルセイダーズ当たりのフュージョンっぽい楽曲スタイルである意味このアルバムでは異色ですが、ここでルーズな感じなグルーヴを持ったボーカルを聴かせているのはクインシー御大ご本人。

このアルバム唯一ボーカルをフィーチャーしていない、ある意味一番ジャズっぽいナンバーが次の「Along Came Betty」。ヒューバート・ローズのフルートが一種独特の雰囲気を醸し出して、クインシー得意の映画音楽かTV番組音楽のスコアっぽい感じを聴かせてくれます。

そしてアルバムはある意味このアルバムの中心的な意匠とでも言える、ソウルR&Bスタイルの極致、共作者の一人リオン・ウェアミニー・リパートンがそれぞれソロ・ボーカルを取り、要所要所にアル・ジャロウのボーカル・エフェクトがフィーチャーされているという、もうソウル・グルーヴ満点の「If I Ever Lose This Heaven」でフィナーレを迎えます。ご存知アヴェレージ・ホワイト・バンドが後にアルバム『Cut The Cake』(1975)でカバーし、シングルヒットにもなったナンバーですが、今考えるととても贅沢なラインアップによって渦巻くようなグルーヴを作り出している素晴らしいバージョン。ここでもヒューバート・ローズのフルートがとても効果的にフィーチャーされています。

このアルバムは当時ジャズ・アルバムとしては異例の全米アルバム・チャートのトップ10に入る大ヒットとなり(今に至るまでクインシーに取って最もチャート上ヒットしたアルバムです)、ジャズというジャンルが一部のコアなジャズファンだけではなく、黒人ポピュラー音楽の一ジャンルとして認識され、より多くのジャズ作品がメインストリームに受け入れられるようになった、ある意味トレイルブレイザー的作品になったのです。

これによって恩恵を受けたのが『Mister Magic』(1975)が全米10位のブレイク作となったサックス奏者のグローヴァー・ワシントンJr.であり、当時まだファンクバンドだったEW&Fモーリス・ホワイトと組んで見事なソウル・ジャズアルバム『Sun Goddess』(1974)をヒットさせたラムゼイ・ルイスであり、そして『Breezin’』(1976)がいきなり全米1位になっただけではなく、その年のグラミー賞最優秀アルバムにノミネートされ、メインストリームに一躍躍り出たジョージ・ベンソンといった、それまでジャズの世界で実績を作り上げてきたアフリカ系アメリカ人のミュージシャン達でした。

その後ソウルR&Bとジャズの蜜月関係は、フュージョンの登場によってポップ・ミュージックへの接近でより多様化していくわけですが、この『Body Heat』で作り上げられたよりアフリカ系アメリカ音楽的なグルーヴを持ったダウン・トゥ・アースな音楽スタイルからは徐々に遠ざかって行くことになります。そしてクインシーは「ポップに行くんだったら思いっきりポップに行ってしまえ!」ということで『愛のコリーダ』やマイケルとの一連のコラボによってその王国を築いて行くことになるのです。

最近のインタビューでの放言が物議を醸しているクインシーですが、彼が60年代以降現在に至るまで残している実績を考えるとまあああいう放言もアリなのかな、と思ってしまうところがクインシー御大の大物たるゆえん。その彼のキャリアの転機となったこのアルバム、改めてじっくり聴いてみることをお勧めします。

<チャートデータ> 

RIAA(全米レコード産業協会)認定 ゴールド・アルバム(50万枚売上)

ビルボード誌全米アルバム・チャート 最高位6位(1974.11.2付)

同全米ソウル・アルバム・チャート 最高位1位(1974.7.6付)

オフ会映像

ひたすら・・・歌い出しがタイトル!の全米トップ40ヒットを聴く飲み会

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