2019.6.10
新旧お宝アルバム #147
『Bible Belt』Diane Birch (S-Curve, 2009)
一時期あれだけ暑さが続いていたのに、先週末くらいから雨模様や曇りがちの日々が続いて、どうやら東京地方も夏本番前の梅雨っぽい時期を通り過ぎようとしている模様。でも夏フェスの季節はもう目の前、いろんな洋楽アーティストの来日や新譜のリリースも続くこの時期、間もなく到来する夏本番を待ちながら洋楽を楽しみたいですね。
さて、今週の「新旧お宝アルバム!」、どのアルバムを取り上げようかなと考えていたところ、今のこの季節にぴったりな、リリース当時かなり大きな反響を呼んでその年の洋楽レコード店の選ぶCD大賞にも選ばれたこのアルバムをまだ取り上げていなかったことに気が付きました。今週は、2009年リリースのしかもデビュー・アルバムながら、キャロル・キングやローラ・ニーロといった70年代前半に輝いていた女性シンガーソングライターの系譜を引き継ぐかのような素晴らしい楽曲と、ゴスペルやR&B、そしてアメリカーナといったアメリカ音楽の歴史を辿るような作風と歌唱で当時多くのファンを生んだ、ダイアン・バーチの名盤アルバム『Bible Belt』(2009)を改めてご紹介します。
オルタナティヴ・ロックやアメリカーナ、ヒップホップやR&Bなど、多くの洋楽のサブジャンルにおいて多くのクリエイティヴで質の高い作品と、実力派のアーティスト達が多く輩出されて、個人的には1960年代後半~70年代前半に次ぐ「大きな洋楽ルネッサンス期」と呼んでいる1990年代も、1999年、あのサンタナが様々なコンテンポラリーなアーティストとコラボしたアルバム『Supernatural』の大ヒットで終わりを告げました。
そして21世紀に突入したあたりから、洋楽シーンの方向性も更に細分化、多様化、そしてマイクロジャンル化の方向に向かい始めました。それに伴っていわゆる「メインストリームのジャンル」という概念がそれまで以上に希薄化し、コテコテのアイドル・ポップでも、下世話な音作りのR&Bでも、ハードコアなヒップホップでも、カントリー・ポップでも、グランジ崩れのパワー・ポップ・ハードロックでも、マーケティングに乗って、YouTubeを通じてPVが膨大なビューを積み上げればメインストリームなヒットになる、というある意味民主的、悪く言うと何でもbuzzれば勝ち、的な今にも通じる音楽マーケティングモデルが定着し始めたのが2000年代ではないかと思ってます。
そんな21世紀最初のデケイドが終わりに近づいた2009年に、こうした音楽マーケティングモデルのほとんどの要件に対するアンチテーゼを表明するかのように忽然とシーンに現れ、その作品を聴いた多くの洋楽リスナー達(特に従来からの洋楽ファン)の心を一瞬に奪っていったのが、今回ご紹介するダイアン・バーチの『Bible Belt』。
この「新旧お宝アルバム!」を読んで頂いている読者の多くの方には「このアルバム知ってるよ、死ぬほど聴いた」という既にお馴染みの作品だとは思います。でもこのアルバムリリースから10年が経った今、当時まだ洋楽を聴いていなかった若いリスナーの皆さんに「つい10年くらい前に、今巷で流行ってる洋楽ヒットとは全く違うタイプのこういう素晴らしい作品に魅了された洋楽ファンがいっぱいいたんだよ」と伝えるためにこのアルバムを取り上げるのはそれなりに意味があるのでは、と思った次第。
既に多くの評論家の皆さんにも論評されているこの作品、ご存知のように次の3つの要素がこのアルバムのサウンドと楽曲に、一見オールドスタイルにきこえながら、時代を超えた普遍的なクオリティと魅力を与えていると言えます。
1.ローラ・ニーロやジョニ・ミッチェルに代表されるような、60年代のティンパン・アレー・ミュージック(体制的価値観に基づく商品として作られた優れたポップ楽曲スタイル)と70年代以降のロック・サウンド(現状への疑問と否定を一段高いスキルによる楽器演奏や特徴的なリフ、そして問題意識提示型の歌詞で表現した楽曲スタイル)の橋渡しをしたスタイルのメロディや詞を持った楽曲を多く作り出した女性シンガーソングライター達のスタイルをその表現スタイルとしていること。
2.プロテスタントの宣教師の娘として、ジンバブエや南アフリカなど世界中を幼少時に移り住んだ経験によると思われる、R&Bやゴスペル・ミュージックやワールド・ミュージックの影響が楽曲構成やコーラスアレンジなどの端々に印象的に見られること。
3.シンセサイザーなど電子楽器は使わず、自らの歌声と基本的なギター・ベース・ドラムスの楽器編成を使い、キーボードについてもアコースティック・ピアノの他にワーリツァーのエレピの使用に拘るなど、70年代の優れた楽曲が表現していたニュアンスを忠実に再現しながら、古臭さを感じさせないこと。
上記の1.、特にローラ・ニーロのスタイルへの類似性はこのアルバムを聴いたら誰もが強く感じるところではないかと思います。アルバム冒頭のアカペラで始まる「Fire Escape」やピアノの弾き語りが印象的な「Rewind」、ジャジーなピアノの伴奏と歌い出しの一瞬裏声になるあたりが素敵な「Rise Up」などなど、このあたりを強く感じさせる楽曲は多いのに、決してローラの物真似には止まらない、楽曲の完成度が聴く者(特にローラのファン)のハートを奪ってしまうゆえんでしょう。
上記の2.については、ブルージーなR&B風味の素敵な「Fools」、ゲイリー・マーシャル監督の映画『Valentine’s Day』(2010)の挿入歌にも使われた「Valentino」の軽快なパーカッションが印象的なリズム、静かなバラードで始まる「Photograph」が後半、アレサ・フランクリンが登場しそうなドラマティックでスピリチュアルなゴスペル・コーラスに変貌していくあたりのカタルシス、そしてリヴァーヴギターをバックに教会で歌われる正しくソウルフルなゴスペル然とした「Forgiveness」といったあたりに顕著ですよね。マイアミ・ソウルの大御所シンガー、ベティ・ライトがプロデュースに携わっていることも大きいのでしょう。そしてそのベティ・ライトを持ってきたのが、ダイアンを見いだした本作のエグゼクティヴ・プロデューサーも務めるS-カーヴ・レーベルのスティーヴ・グリーンバーグ。
このアルバムの完璧なまでのトータル感やクオリティは、あのハンソンやジョス・ストーンなどアーティスト発掘で業界では有名なスティーヴの影響も大きかったに違いありません。これについてはまた後ほど。
そして3.で特に印象に残るのが、ワーリツァー・エレピでたゆとうように始まり、ダイアンのソウルフルでさりげなく技巧的な歌い回しがとても魅力的な「Nothing But A Miracle」。この曲などは楽器の選択も含めて、完璧な楽器アンサンブルでこのアルバムの魅力を端的に表していると思っていて、後にあのダリル・ホールがウェブで放映している『Daryl’s House』でダイアンがダリルと共演した際もほとんど楽器設定はオリジナルに忠実だったことでもこの要素がこのアルバムの重要なファクターだったことが判ります。
とにかくこのアルバムは「繰り返して聴くことが発見と喜びを生み出す」という希有な作品なので、多くのダイアンに巡り会った洋楽ファンが何度も何度もこのアルバムを聴いたのは想像に難くないところ。当然次作に対する期待は大きく高まったわけですが、次作『Speak A Little Louder』(2013)は『Bible Belt』でのダイアンのパフォーマンスとスタイルに惚れ込んだファンに取ってはやや戸惑う内容でした。彼女の最大の魅力であるゴスペルを基盤にしたソウルフルなボーカルや、70年代のシンガーソングライター黄金期を彷彿させる楽曲の魅力は十分楽しめるものの、サウンドに対するアプローチが『Bible Belt』に比べて遙かに音響派っぽいというか、今回はシンセが結構多いぞとか、全体的にはちょっとメランコリーでポジティヴなヴァイブが少ないぞといったあたりが自分も含めて当時の印象だったと思います。このアルバム発表直前に父親を失う、ということも大きく影響していたとは思いますが、言わばフリートウッド・マックの『噂』(1976)の後に『タスク(牙)』(1979)を聴かされた戸惑いに近かった、と言えばいいでしょうか。
その後、ダイアンはスティーヴと袂を分かって、インディから更にダークでメランコリーなアルバム『Nous』(2016)をリリースするわけですが、彼女が自分がティーンエイジャー時代に愛聴していた曲のカバーを収めたEP『The Velveteen Age』(2010)がジョイ・ディヴィジョンやスージー&ザ・バンシーズ、シスターズ・オブ・マーシーといった言わばゴス・ロック系の楽曲で埋め尽くされていたのを考えると、こうした作風が彼女の作風の他の重要な一面であることは間違いないところなのでしょう。
ダイアンはこのアルバム発表直後の2009年の他、2016年と2018年の都合3回来日していて、2016年の来日の時は勇んで駆けつけたのですが、当時リリースされたばかりの『Nous』からの曲や、シャーデーや彼女を見出したプリンスのカバーなどが中心で、期待していたこのアルバムからの曲は数曲だったので不完全燃焼でした。その後のインタビューとかを読むと、当時彼女はこの『Bible Belt』が好きになれなかったらしく、その理由の一つが彼女が持ち寄った曲のうち、ダークでメランコリーな側面を持った楽曲がことごとくアルバムに採用されなかったことだったとのこと。当時ライヴ見ながら「どうも彼女は『Bible Belt』のイメージにはめ込まれることを嫌がってるのでは」と感じたことは正にその通りだったようで。
でも、前回の2018年来日時のインタビューでは「今では10年を経て『Bible Belt』を愛せるようになってきた」と語り、事実ライヴでもこのアルバムのナンバーを中心にしたセットリストでファンを喜ばしたらしい。ううむ、行けば良かった。
最近のインタビューによると「次の新作は『Bible Belt』のファンにも楽しんでもらえるものにしたい」と言ってくれているようです。また今月はあのブライアン・フェリーのオープニング・アクトとしてヨーロッパをツアー中のようなので、夏に向けて上がって行く活動レベルのお伴になってくれるような、そんな素晴らしい作品を期待して、今はこのアルバムを改めて聴き返しておきましょう。
<チャートデータ>
ビルボード誌全米アルバムチャート 最高位87位(2009.6.20付)