2020.3.9
「新旧お宝アルバム !」#168
『Judee Sill』Judee Sill (Asylum, 1971)
さて先週はリリースほやほやの最新作をご紹介しましたが、今週は「旧」のアルバムのご紹介と行きます。
たまたま先週金曜日に、洋楽友人でアサイラム・レーベル(最近の洋楽ファンの方へ:1970年代に数々のアメリカン・ロックの名盤を輩出したウェスト・コースト系のロック中心のレコード・レーベルです)のレコードをコレクションしてる方が、全185枚をめでたくコンプリートされた、というのを記念してアサイラム・レーベルのレコードだけを回すイベントがあり、自分もDJとして参加してきました。その際、今日ご紹介するレコードがかかったのですが、この作品、そこに来た人はみんな当然のごとく知ってるけど、洋楽ファン全般でいうとどれだけの方が知ってるんだろう(特に若手の洋楽ファンの方)、という疑問が浮かびました。ということでそのレコードを今日はご紹介します。
1970年代初頭、その才能から将来を嘱望されてアサイラム・レーベルの契約アーティスト第1号としてデビューしながら、生涯波瀾万丈の人生を送り、惜しくも早逝してしまった女性シンガーソングライター、ジュディー・シルのデビューアルバムであり、アサイラム・レーベル第1号アルバム『Judee Sill』(1971)です。
アサイラム・レーベルは、1960年代タレント・エージェンシーから身を起こして、60年代後半にはローラ・ニーロやクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(CSNY)といったフォーク・ロック系のアーティストのマネージャーをやっていたデヴィッド・ゲフィンが、同僚のエリオット・ロバーツと共に1971年、当時契約しようとしていた新人シンガーソングライター、ジャクソン・ブラウンのデビューに向けて設立したレコード・レーベルでした。
当時ベトナム戦争が激化する中、アメリカ西海岸を中心に大きなムーヴメントとなっていったフォーク・ロック・カルチャーの新たな音楽表現の受け皿として設立されたアサイラムの契約第1号アーティストは、しかしなぜかジャクソンではなく、今日ご紹介するジュディー・シルでした。
ジュディーは60年代後半有名ポップ・ロック・グループ、タートルズに楽曲を提供するなどの音楽活動を始めていましたが、その中でCSNYの中心人物、デヴィッド・クロスビーとグラハム・ナッシュと知己に。そして彼らの前座としてツアーに同行していた縁で、ゲフィンの声かけで新生アサイラムとレコード契約、クロスビーとナッシュ、そしてタートルズのメンバーの全面的なバックで録音されたのが今日ご紹介する『Judee Sill』です。
ジュディーのキャリアを語る際によく使われる言葉が「犯罪とドラッグとキリスト教的歌詞」。彼女がティーンエイジャーの頃、実父の死後の母の再婚と義父との関係悪化をきっかけに、友人と窃盗を働いて逮捕され少年院送りになったり(この服役中に彼女は教会オルガン奏者としてゴスペル演奏を習得した)、アート・カレッジに進んだものの母の死後ドロップアウトしてLSDやドラッグにのめりこんだりと、およそ社会的な枠には収まらないような思春期を過ごしていました。
1966年にピアニストのロバート・ハリスと結婚後も、二人してドラッグに溺れ、その資金確保のために売春や小切手偽造などの犯罪に手を出して再び拘置所に入れられる羽目に。しかしそれと時を同じくして実兄が急性肝炎で急死したことを知らされ、運命を感じたのか出所後彼女は音楽の道を進むことを決めたのでした。
このファースト・アルバムを通してあふれ出てくるジュディーの音楽は、ひたすら美しく、どこか悲しげ。しかしシンプルなメロディに乗って淡々と語られるキリスト教的な煩悶と罪からの救済を求めるような歌詞が、多くはアコースティック・ギターやピアノの音色をバックに、ジュディーの澄んだボーカルで歌われます。
クロスビーのしっかりとしたアコギのアルペジオをバックにゆったりと歌われるアルバム冒頭の「Crayon Angels」は「私は神と、自分を死後の世界に連れて行ってくれる汽車を待っている」といったメッセージを繰り返していますし、カントリー・ロックっぽいややアップテンポの「Phantom Cowboy」は、星に向かって飛び立つ幻のカウボーイの歌。カントリー・フォークな味わいのワルツ調から後半バッハのアリアのようなフレーズも飛び出す「The Archetypal Man」は明らかに神のことを歌っているように聞こえますし、聖書上の寓話をイメージしたかのような詞の「The Lamb Ran Away With The Crown」でもジュディーの歌声は(おそらく自分のボーカルをオーバーダブしているのか)まるで夢の中で聞こえてくる天からの声のようにも聞こえます。
タートルズに提供した「Lady-O」のまるで賛美歌のようなカバーに続いてA面を締めるのは、このアルバム中最も有名な曲でグラハム・ナッシュがプロデュースしたシングル「Jesus Was A Cross Maker」。当時一時期交際のあったJ.D.サウザーのことを歌っているとも言われるこの曲、このアルバムでは珍しくピアノをバックに「美しい歌を歌って私を魅入らせる見知らぬ人を信じたの/でも彼は悪党でハートブレイカー/そしてイエスは十字架を作る方」と、世俗的な感情の揺らぎとキリスト教への信心の間で揺れる心情を、ジュディーがとても感情溢れる歌声で歌う、間違いなくこのアルバムのハイライト。この曲は後にホリーズやウォーレン・ジヴォンなど多くのアーティストがカバーし、キャメロン・クロウ監督の瑞々しいロードムーヴィー『エリザベスタウン』(2005)でもオープニングでこの曲が使われていたのが印象的でした。
2曲目と同様にカウボーイのテーマで、馬の蹄の音も聞こえる「Ridge Rider」で始まるB面は、このアルバムの中でも早い時期(1969年)に書かれた曲で固められています。アコギとリタ・クーリッジらのバックコーラスでシンプルに歌われる「My Man On Love」は苦しむ相手の苦悶を取り除いて「あなたを破滅から救ってあげる」というやはり宗教的救済を想起する曲。「Lopin’ Along Thru The Cosmos」は宇宙をロープにつかまりながら旅する、という何やらSF的なテーマの曲ですし、「Enchanted Sky Machines」は再びピアノをバックに、ややニューオーリンズ・ジャズ風な曲調なのに、歌われる歌詞は観念的で難解なものですが、ジュディーの歌声はただひたすら涼しげ。そして最後の「Abracadabra」は救いを求めながら、真実を教えてくれる偉大な光を怖れる男のことを歌いつつ、最後は壮大なオーケストラによるエンディングを迎えます。
この最後の曲だけでなく、アルバムを通じてフォーク・ロック的な演奏のバックのあちこちに、クラシックの要素を感じさせる管楽器やストリングスなどが随所に配されているのも、このレコードの独得の魅力を醸し出している要素。これはジュディー自身が「バッハとレイ・チャールズに影響を受けた」と言っていることと符号しており、彼女の音楽体験のスタートが少年院での教会オルガニストとしてのゴスペル演奏であった、ということとも密接につながって彼女の独得のキャラクターにつながっているように思います。
アサイラム第1号の作品で、当時の評論筋の評価も高かったようですが残念ながら商業的には失敗。続いて今度は実力派のスタジオ・ミュージシャン達を集めて録音、リリースされたセカンド・アルバム『Heart Food』(1973)も商業的には不発となり、他のアーティストの前座としてのステージを要求され続けたジュディーはゲフィンとの関係を絶って、契約も更新されず、そのまま音楽の世界から姿を消してしまいました。そして1979年、ノース・ハリウッドのアパートで、コケインやコーダインの薬物過剰摂取で死去。享年35歳でした。
彼女の作品は発表当時商業的には振るいませんでしたが、XTCのアンディ・パートリッジ、リズ・フェア、ショーン・コルヴィンそして自らのアルバムでジュディーの曲をカバーしているウォーレン・ジヴォンなど、彼女の音楽を支持し、影響を口にするアーティストは数多く、2009年にはベス・オートン、ロン・セクススミスなど90年代以降活躍しているシンガーソングライター達によるトリビュート・アルバム『Crayon Angel: A Tribute To The Music Of Judee Sill』などもリリース。
こうした動きで彼女の音楽への再評価が近年進み、2005年にはリイシューに特化したレーベル、ライノから彼女の2枚のアルバムが初CD化されリリース。そして彼女が発表されなかったサード・アルバムのために録音していたデモ音源などをまとめた2枚組CD『Dreams Come True』がリリースされるなど、死後25年を経て、ジュディーの作品が再び多くの音楽ファンの耳に届くこととなりました。
日本でも2013年に、ワーナーミュージック・ジャパンさんの「新名盤探検隊」シリーズの一環で、彼女の2枚のアルバムがCD再発され、今でもレコード店で結構みかけますので、このジャケを目にしたら是非お手に取って見て下さい。
彼女の澄み切った歌声と独得の歌詞に彩られた楽曲は今も光輝いています。春先の薄ら寒い今時の陽気の週末の昼下がりに、ぜひ彼女のアルバムに耳を傾けて下さい。そしてその時は、彼女がこのアルバムのライナーの最後に書いているように「どうかひとつひとつの言葉をラズベリーのように慈しんで(May your savor each word like a raspberry)」。
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