新旧お宝アルバム!#13「Who Is This Bitch, Anyway?」Marlena Shaw (1975)

新旧お宝アルバム #13

Who Is This Bitch, Anyway?Marlena Shaw (Blue Note / United Artists, 1975)

暑さはようやく峠を超えたものの、連日雨模様ですっきりしない今日この頃、音楽を聴くにはいい季節になりました。「新旧お宝アルバム!」、第13回目の今回は秋に向かう季節にもマッチする、「旧」は70年代のソウル・ジャズの名盤、マリーナ・ショウの「Who Is This Bitch, Anyway?」を取り上げます。

marlena_shaw Jacket Front

ジャズ・ファンであれば既によくご存知の70年代を代表するジャズ・ボーカリスト、マリーナ・ショウ

日本のジャズ・ファンの間でも人気が高く、数多く来日公演も行っており、特に今回ご紹介する「Who Is This Bitch, Anyway?」のオリジナルの主要バッキング・メンバーを従えたアルバム再現ライブを2009年からほぼ毎年ビルボード・ライヴ東京で開催しているほど、ある意味ジャズの世界では定番アーティストの定番アルバムです。

そんなに定番な作品をなぜ今回敢えて「お宝アルバム」として紹介するのか?理由は三つ。

一つは、これほどのジャズの世界では定番作品でありながら、しかもいわゆるストレートジャズ系ではなく、70年代ソウルとジャズのグルーヴが寄り添う、非常に優れたメインストリーム・ポップ/ソウル作品としての文脈でジャズファン以外にも広く紹介されてもおかしくない内容なのに、商業的にもさほど大きなヒットになっておらず、一般のポップ/ロック、ソウルファンには意外に知られていないこと。

二つ目の理由は、今年も2月にビルボード・ライヴ東京のアルバム再現ライヴを務めたこの作品のオリジナルの主要バッキング・メンバーが、デヴィッド・T・ウォーカー(g)、チャック・レイニー(b)、ラリー・ナッシュ(kbd)、ハーヴィー・メイソン(ds, perc)といった、70年代~80年代にかけてジャズシーンのみならず、ロック、ポップ、R&Bの多くの作品のバックを務めたセッション・ミュージシャンぞろいであり、一般のポップ・ロック/ソウルファンが聴いてきた数々のヒット・レコードの音に対する感覚の延長ですんなり聴けてしまうような、いわばジャズアルバムとしては「敷居の低い」アルバムであること。

そして三つ目の理由は、この作品が70年代のブラック・シネマのサントラ盤のような、ある意味コンセプト・アルバムと言ってもいいような、ストーリー性とトータル性の高い構成で作られたアルバムであり、単なるジャズ・シンガーの作品集ということで終わっていないこと。

そもそもタイトルが凄いですよね。「いったいこのビッチ(女性に対する蔑称ですが、ここではむしろ尊厳を持って自立した大人の女、というような意味。ジャケを見れば一目瞭然)は何者だ?」というんですから。その雰囲気を反映して、冒頭正にブラック・シネマを思わせる男女のさりげなく、しかし思惑や欲望、打算と駆引の要素満載の会話によるスキット「You, Me & Ethel – Dialogue」で始まります。結局嫁さんに逃げられ25ドルしか所持金がない彼は、おそらく街娼(自称「ソーシャル・ワーカー」というのが笑えます)の女性に敢え無くフラれますが、正に映画の一シーンを見るよう。

その会話の終わりから、このアルバム最初の曲でファンキーなカッティング・ギターとスイングパートが交互に飛び出していきなりのっけからテンションの上がる「Street Walkin’ Woman」になだれこむあたりが最初のハイライト。ここでの演奏もさることながら、マリーナのボーカルは、ビッチであることの誇りと力強さを感じさせて、一気に引き込まれます。70年代前半からの「ブラック・イズ・ビューティフル」の気概も充分に感じさせます。

続く「You Taught Me How To Speak In Love」は70~80年代のAOR作品的なメロディとコーラスの曲。デヴィッド・フォスター・プロデュースと言われても頷いてしまいそうですが、彼の80年代作品のような過剰プロデュース的な感じはなく、もっと手作り的な肌合いを感じる曲です。次の「Davy」は、このアルバムをプロデュースしたベナード・アイグナー作で彼が弾くピアノでしっとりとマリーナが、道を誤りそうな息子に家に帰っておいで、と歌う曲。

アイグナークインシー・ジョーンズの「Body Heat」(1974)やジョージ・ベンソンの「In Flight」(1977)収録のスタンダード曲「Everything Must Change」の作者ですが、この曲は彼のソウルフルでありながら洒脱な作風が現れた心に染みる曲です。

Feel Like Makin’ Love」はご存知ロバータ・フラックの大ヒット曲「愛のためいき」のカバーで、このアルバムはこの曲の名唱を含む、と紹介されることが多いようですが、全体で特にこの曲のパフォーマンスが際立ってという印象は実は受けません。それだけ全体のクオリティが高いということでしょう。

マリーナ自作の小品「The Lord Giveth And The Lord Taketh Away」をはさみ、アイグナーのもう一曲の作品「You Been Away Too Long」が続きます。この曲はこのアルバムで一番「ジャズっぽい」曲。この時期のマリーナはジャズ・シンガーとして最も勢いのあるころ、脂の乗った達者なボーカルで聴かせます。再びマリーナ自作のこれもジャジーで情感たっぷりな「You」に続いてアイグナー作の「Loving You Was Like A Party」で、曲調がまたがらりと変わり、70年代前半のソウルミュージックの雰囲気を強く湛えたマイナー調のソウル・ジャズチューンになります。そして最後は美しい映画の一シーンを思わせるような短いプレリュードを挟んで、ちょっと意表を突くくらい軽やかで明るい曲調の「Rose Marie (Mon Cherie)」でアルバムは幕を閉じます。

このようにアルバムを聴き進めると、まるで映画の一幕一幕が見えるかのように、全体の統一感とストーリー性が高いことがわかると思います。またジャズ界のミュージシャンがバックを務めていますが、いわゆる後の「フュージョン」的な軽さはなく、足に地がついた感じの演奏を聴かせてくれるのが嬉しいところです。

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彼女はこの後も現在まで数々のアルバムを出していますが、いまだにこの作品が彼女の主要作として評価されているようです。それは冒頭触れた、毎年の再現ライヴが未だに多くのファンを集めていることからも判ります。

また、この作品が作られた時期が、70年代ソウルR&Bシーンのいくつかの大きな動き~ファンクのメインストリーム化、ヒップホップの勃興、ボーカル&インストルメンタル・グループの台頭、マーヴィン・ゲイダニー・ハサウェイカーティス・メイフィールドといったR&Bシンガーソングライターの活躍など~の一つであった、後の90年代のオーガニック・ソウルの原点となったソウル・ジャズが大きく盛り上がったタイミングであったことも、この作品を特別なものにしている大きな要素であったように思います。

このアルバムは、2年ほど前にEMIミュージック・ジャパンさんがブルーノート復刻1,000円シリーズの1枚としてリマスタリング盤が再発されており、比較的容易に入手できます。

ジャズとか、ソウルとか、そういった枠組みを気にせず、シンガー、マリーナ・ショウの素晴らしい歌と控えめながらバックをかっちりサポートしているミュージシャンたちの織りなす音像が喚起する映像を思い浮かべながら、このアルバム、是非お楽しみ下さい。

<チャートデータ>

ビルボード誌全米アルバム・チャート 最高位159位(1975.8.2

同全米ジャズ・アルバム・チャート最高位8位(1975)

同全米ソウル・アルバム・チャート最高位47位(1975)