新旧お宝アルバム #15
『Funky Kings』Funky Kings (Arista, 1976)
シルバー・ウィークはあっという間に終わり、いよいよ秋本番。これからは素晴らしい音楽を聴くには絶好の季節。ということで今回第15回目の「新旧お宝アルバム!」では「旧」の作品から、70年代中盤に1枚だけアルバムを残しているウェストコースト・ロックの伝説的なバンド、ファンキー・キングスの『Funky Kings』を取り上げます。
既にウェストコースト・ロックやアメリカン・シンガーソングライターのいろんな作品を掘り下げて聴いているベテラン・リスナーの間ではよく知られているこのバンド。なぜ「伝説」かというと、70年代中盤当時シーンでの存在感を築きつつあった3人の実力派シンガーソングライターがコア・メンバーであり、うち2人はその後更に大きくシーンで実力を発揮した、いわば実力派SSWの登竜門的なバンドだったから。
その一人、ジャック・テンプチンは、それまで既にイーグルスに「ピースフル・イージー・フィーリング」(ファースト収録)「過ぎた頃(Already Gone)」(『On The Border』収録)などのヒット曲を提供していてイーグルスとの交流も深く、このバンド結成当時最も実績を持っていた中心メンバー。彼はバンド解散後も、グレン・フライとのコンビで「The One You Love」「Sexy Girl」「Smuggler’s Blues」「You Belong To The City」などなど一連のヒットを手がけた、ウェストコースト・ロック・シーンでは今や誰もが知る大物ソングライターとして活躍しています。
一方、もう一人のジュールズ・シアーは、このバンド結成当時はまだまだ新進気鋭のSSWでしたが、バンド解散後、いくつかのバンドを経ながらソロ・アルバムをコンスタントに発表。その中から「All Through The Night」(シンディ・ローパー)、「If She Knew What She Wants」(バングルズ)、「Whispering Your Name」(アリソン・モイエ)などを他のアーティストがヒットさせることでシーンでの評価を勝ち得て行きました。今やティル・チューズデイのエイミー・マンやマシュー・スイート等とも交流が深く、80年代以降を代表するアメリカの優れたSSWの一人という評価です。
3人目のコア・メンバー、リチャード・ステコルは残念ながら上記の二人に比べると商業的な成功やシーンからの大きな評価も得ていませんが、このバンド結成当時はローカルシーンではかなり人気のあった「ホンク」というバンドで活躍していました。このアルバムに彼が提供している曲もメインストリーム・ロックの楽曲として出来のいいものばかりで、彼の実力が伺われます。
アルバム全体を色濃く彩るのは、70年代中盤の、まだウェストコーストロック全盛期だった頃のオプティミスティックな雰囲気。そしてアルバムに詰まっているのは、秀逸なメロディなど60年代後半からのアメリカンSSWの系譜をきっちり踏襲しながら、ちょうど当時絶頂期に差し掛かっていたイーグルス、ポコ、オザーク・マウンテン・デアデビルズといった中道ややリベラル寄りのカントリー・ロック・サウンドに乗った質の高い楽曲群です。
いかにもウェストコースト・ロック、という感じのアコギストロークとツイン・ギターのイントロが気分たっぷりのジャック・テンプチン作の「Singing In The Streets」で始まり、後にキム・カーンズもカバーした、こちらも70年代初頭のSSW的アルペジオ・ギターに乗せて歌われるリチャード・ステコル作「My Old Pals」、同じくリチャード作の軽快なリズムに乗ったちょっとファンキーなカントリー・ロック曲「So Long」と冒頭三曲で既に「よしよし、いいぞいいぞ」と、ウェストコースト・ロック好きのファンであれば一気に引き込まれる構成。
ドブロ・ギターのイントロとバッキングと、ジャックのソウルフルなボーカルがスワンプ・ロックを思わせる「Highway Song」、ポコあたりの初期アルバムに入っていても違和感ない、リズムの取り方が面白いジュールズ・シアー作の「Nothing Was Exchanged」を経て、このアルバムのちょうど真ん中、おヘソに位置するのがジャック作の「Slow Dancing」。このゴスペルタッチのバラードは後の1977年に、あのジョニー・リヴァースが「Swayin’ To The Music (Slow Dancin’)」というタイトルで全米最高位10位の大ヒットにした曲。自分も含めて、ジョニー・リヴァースの曲からこのファンキー・キングスにたどり着いた音楽ファンも多いと思います。
続くジュールス作の2曲は対象的な曲調で彼の実力を感じさせます。アップでストレートなロック・ナンバー「Let Me Go」はリンダ・ロンシュタットで大ヒットしたマーサ&ザ・ヴァンデラスの「Heat Wave」あたりを下敷きにしたと思しい、モータウンテイストの軽快な曲。バックでギターを弾いてるのはマッスル・ショールズ・リズム・セクションの一員として70年代を通じて数々のセッションで活躍した名うてのギタリスト、バリー・ベケット。もう一曲はアート・ガーファンクルもカバーした、美しいメロディのバラード「So Easy To Begin」。
アルバム後半はリチャード作のこれもスワンプっぽい「Help To Guide Me」で始まり、この時代のディランを意識したのではないかという感じの曲調のジャックの「Mattress On The Roof」、そしてアルバム最後はハード・ブギー的なテイストも入ったギターの決めがカッコいいリチャード作の「Anywhere But Jimmie’s」でクロージングとなります。
このバンドの結成の肝いりはアリスタ・レコード初代社長で、ジャニス・ジョプリン、シカゴ、ホイットニー・ヒューストン、アリシア・キーズなどをブレイクさせた、現在はソニー・ミュージック・エンターテインメントの最高クリエイティブ責任者(CCO)であるあのクライヴ・デイヴィス御大。当時シカゴなどに続き、イーグルスやドゥービーの向こうを張るアメリカン・メインストリーム・ロックバンドとしてこのバンドを育てるという意気込みで全面バックアップ。
プロデューサーもポール・バターフィールド、ドアーズ、ジャニスなどを手がけて実績充分なポール・ロスチャイルド、ミキシングは当時既に名うてのエンジニアで、後にキム・カーンズのアルバム『私の中のドラマ(Mistaken Identity)』のプロデュースでグラミー賞を受賞するヴァル・ガレイという鉄壁の布陣でした。しかし基本的には60年代ロックの名匠だったロスチャイルドをこの時代の新人バンドに起用するという、クライヴのセンスのずれが災いしたか、このアルバムは残念ながら商業的には成功せず、セカンド・アルバムをリリースすることなくバンドは解散してしまいました。
このままこの3人がぐんぐん実力を上げながらバンドを大きくしていったら70年代を代表するメインストリーム・ロック・バンドになった可能性も大いにあっただけに惜しい解散。しかしこの解散がジャックとジュールスに新たなキャリアを開いたことを考えると時代の必然だったのだろうと思いますし、このアルバムから僅か2年後にはディスコ全盛、ニューウェイヴやパンクの台頭、ヒップホップの勃興などシーンが大きく変貌したことを考えると、これはこれで良かったのかも、とも思えます。
これから秋が深まる中、きれいに晴れ上がった秋空を見上げながらこのアルバムを聴くと、ベテランの洋楽ファンには、あの70年代中盤のまだメインストリーム・ロック、ウェスト・コースト・ロックが全盛だった頃のピュアである意味ナイーヴな音楽シーンの興奮が思い出されるかもしれません。また若い洋楽ファンには、70年代のオプティミズムを象徴するような作品が詰まったこのアルバムを耳にしてもらうと、当時のアメリカン・ミュージック・シーンのポジティブな雰囲気を想像してもらえるかもしれません。
いずれにせよ、一聴の価値ある作品。是非この秋の音楽ライフのお供にいかがでしょうか。
<チャートデータ>
アルバム チャートインなし
「Slow Dancing」ビルボード誌全米シングルチャート 最高位61位(1977.1.8~15)