新旧お宝アルバム!#102「You Know How To Love Me」Phyllis Hyman (1979)

2017.10.2

新旧お宝アルバム #102

You Know How To Love MePhyllis Hyman (Arista, 1979)

いよいよ10月に突入して日々秋の深まりを少しずつ感じ始めている今日この頃、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。先日のドナルド・フェイゲン来日中止など、残念なニュースもありましたが、音楽を楽しむ秋はこれから本番を迎え、充実した音楽ライフをお楽しみのことと思います。政治の世界は先頃の衆議院突然一方的解散以来、国民のための真の政治家とは何かを日々考えさせられるような状況が続いていますが、一人一人本当に自分たちに取ってベストの政治家を見極めていくしかないですね。

さて今週の「新旧お宝アルバム!」は70年代後半、その素晴らしい歌唱表現力とパフォーマーとしての魅力で脚光を浴びながら、本来その才能に相応しいもう一段上の成功を待たずして1995年に45歳の若さで自ら命を絶ってしまった、80年代R&Bシーンを代表するディーヴァの一人、フィリス・ハイマンの4枚目にして彼女の代表作『You Know How To Love Me』(1979)をご紹介します。

1970年代の後半にシーンに登場して脚光を浴びたR&B女性シンガーというと、ドナ・サマーに代表されるディスコ・ムーヴメントの勃興に伴って登場した女性シンガーたちが想起されますが、フィリスがミュージシャンとして注目を最初に集めたのは、1976年にジャズ・フュージョンのクロスオーバー・ヒットとなった、ジャズ・ドラマーのノーマン・コナーズの『You Are My Starship』のアルバムで、スタイリスティックスのカバー曲「Betcha By Golly, Wow」のボーカルにフィーチャーされたのがきっかけでした。

これをきっかけにノーマンが所属していたブッダ・レーベルからソロ・デビューアルバム『Phyllis Hyman』(1977)とセカンドの『Sing A Song』(1978)を、ブッダアリスタによる買収に伴いアリスタから『Somewhee In My Lifetime』(1978)といったアルバムを発表。この間彼女の実力はシーンでも広く知られるところとなり、『Somewhere In My Lifetime』では彼女の実力を評価していたというバリー・マニローがタイトル曲のプロデュースをするなど、着実にシーンにおける地歩を固めていっていました。

そのタイミングでリリースされたのが今回ご紹介する『You Know How To Love Me』。このアルバムではそれまでのアルバムでプロデュースを担当していたラリー・アレクサンダー(70年代後半フィリスの夫でもあった)に代わって、ジェイムス・エムトゥーメイレジー・ルーカスがプロデュースを担当。エムトゥーメイ&ルーカスといえば、ちょうど同時期にミュージカル「The Wiz」の主演スターからシンガーに転じて「Whatcha Gonna Do With My Lovin’」「Never Knew Love Like This Before」といった大ヒットを放っていたステファニー・ミルズをブレイクしたプロデューサー・チームであり、後に自らエムトゥーメイ名義で80年代R&B代表曲の1つ「Juicy Fruit」(1983)の大ヒットを放った、この時期最も乗っていたサウンドメイカー・チームの一つ。

彼らがほとんどの曲の作曲を手掛けたこのアルバムは、いかにも70年代後半のAORからディスコへとメインストリームの音楽シーンが流れていた、そういった時代背景を如実に感じさせるサウンドで手堅く作りあげられていますが、これがただのディスコR&B作品に堕していないのは、ひとえにある時は力強く、ある時はスケールの大きい歌唱で、そしてある時はデリケートなボーカルで感情をこめたパフォーマンスを聞かせるフィリスのシンガーとしての才能溢れる歌唱パフォーマンスによるところが大なのです。

アルバム冒頭のタイトルナンバーは、ボズ・スキャッグスの「Lowdown」を想起させる管楽器のリフをフィーチャーした、時代感満載のディスコ風のチューンですが、フィリスの伸びやかなボーカルがこのアルバムへの期待を高めてくれます。この曲は後にあのリサ・スタンスフィールドもカバーしたという、全米ヒットには至っていませんがある意味70年代後半を代表するダンクラ・チューンの一つとして広く認知されている曲でもあります。続く「Some Way」はぐっとスローダウンしたナンバーで、よりフィリスのボーカルの歌唱表現力が存分に発揮されている曲。彼女はこの数年後、ブロードウェイであのデューク・エリントンを題材にしたミュージカル『Sophisticated Lady』に2年間にわたり出演しトニー賞にもノミネートされていますが、そうしたしっかりとした実力を感じさせる歌唱です。

同時期にエムトゥーメイ&ルーカスが手掛けていたステファニー・ミルズの楽曲の雰囲気にも似たミディアム・アップの軽快なナンバー「Under Your Spell」はステレオタイプなディスコ・チューンとは一線を画する優れた楽曲ですし、LPでいうとA面ラストの「This Feeling Must Be Love」も随所に潜ませた変拍やサビのメリハリのきいたリズムのキメや、予定調和に堕していないメロディー展開が意外に複雑な魅力を醸し出している楽曲ですが、フィリスはこれらの曲を軽々と歌いこなしてくれます。

But I Love You」で始まるLPのB面は、この曲も含めて5曲中4曲がエムトゥーメイ&ルーカス以外の作者による作品ということもあってか、残念ながら楽曲の質と統一感がA面ほどのレベルに達していないという嫌いはあるのですが、それでもいくつかの曲でのフィリスの歌唱パフォーマンスは特筆すべきものがあります。例えば「But I Love You」はそれこそジャズシンガーレベルの歌唱力で、ピアノとストリングだけをバックにトーチ・ソングを歌い上げるフィリスのパフォーマンスは素晴らしいものがありますし、B面唯一エムトゥーメイ&ルーカス節炸裂のダンクラ・チューン「Heavenly」では冒頭のタイトル曲レベルのパフォーマンスが楽しめます。そしてアルバム最後を締めくくる「Complete Me」では、サックスのソロに絡んで、表情豊かなボーカルでジャジーで複雑なコード進行のバラードを見事に歌い上げてここでも改めてフィリスの素晴らしいボーカルワークを楽しめます。

彼女はこのアルバムリリース後もノーマン・コナーズや「You Are My Starship」でボーカルを担当したマイケル・ヘンダーソン、ジャズ・ピアニストのマッコイ・タイナーといったジャズ・ミュージシャン達とのコラボの傍ら、1981年には前述したブロードウェイ・ミュージカルへも出演、また彼女の最大の商業的成功作となったアルバム『Can’t We Fall In Love Again?』(1981)をリリースするなど、精力的な活動を進めていました。

その少し後、1983年にジェームス・ボンド映画『Never Say Never Again』の主題歌を作曲者であるスティーヴン・フォーサイスの依頼で録音したのですが、同映画のスコア担当のミシェル・ルグランが主題歌の作曲権を主張してフォーサイスを訴えるとクレームをつけたことにより、残念ながらフィリスのバージョンが没になるという不幸な事件がありました。後日このバージョンはフォーサイスにより発表されましたが、彼によるとフィリス本人はこの曲の録音が自分に取ってキャリアベストのパフォーマンスだった、と述懐していたとのこと。

その後も多方面の活動を続けていたフィリスですが、1995年、その夜にアポロ劇場への出演を控えた日にマンハッタンのアパートメントで鎮静剤を大量服用して自殺。残された遺書にはただひたすら「疲れた」と記されていたとのこと。彼女の素晴らしい歌声はまだまだ大きなステージでの活躍の場を与えられるべきだったのですが、残念ながら彼女は帰らぬ人となってしまったのです。

決して全米ヒットを放つことはなかったフィリスですが、R&Bシーン、ジャズシーンでは極めて評価の高いシンガーであった彼女の素晴らしいボーカルを今一度、秋深まるこの季節に楽しんでみてはいかがでしょうか。

<チャートデータ> 

ビルボード誌全米アルバム・チャート 最高位50位(1980.2.9付)

同全米R&Bアルバム・チャート 最高位10位(1980.2.9付)