新旧お宝アルバム!#107「Lust For Life」Lana Del Rey (2017)

2017.11:20

新旧お宝アルバム #107

Lust For LifeLana Del Rey (Polydor / Interscope, 2017)

MLBワールドシリーズもアストロズの感動的な優勝で幕を閉じ、街角に北風が吹き始めて気候も晩秋から初冬の雰囲気が日々強まっていますが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。12月ももう目の前、年間チャートの予想や年間アルバムの選定、そしてグラミー賞各部門予想と、自分のブログもいろいろと忙しくなる時期でこの時期になると「ああもう年末も近いなあ」ということになるのですが、今年は仕事の方が年末ギリギリまで気が抜けない状況なので、本当に年末にならないと年末感が出てこないのでは、と戦々恐々としているこの頃です。

さて先週お休みしてしまった今週の「新旧お宝アルバム!」は、自分が選ぶ今年の年間アルバムのランキングにもそれなりのポジションに入れることになるのでは、と思っている、最近のアメリカ音楽シーンで「バロック・ポップ」だとか「ハリウッド・サッドコア」だとか言われ、独特のイメージとカリスマティックな存在感を見せている女性オルタナ・シンガーソングライター、ラナ・デル・レイから届けられたフル・アルバムとしては5枚目の作品『Lust For Life』(2017)をお届けします。

ラナ・デル・レイ。不思議にラテンの響きのあるステージネームとは裏腹に、ダークでドリーミーかつ何となく不安感を誘うような音響系の音像を持つ楽曲に、時折禁忌用語も交えてドラッグや金や危険で破滅的な男たちとの男女関係などを歌うギャングスタで危ない歌詞を乗せ、そのクールで50年代アメリカーナ的なキッチュさを湛える美貌で(ちなみにラナは1985年生)、ある時は呟くように、ある時はファンタジー中の歌姫のように歌う女性シンガーソングライター。2011年にセカンド『Born To Die』でセンセーショナルにブレーク以来、そのアンバランスな楽曲の魅力やモデルもやる美貌とのギャップに完全にヤラれてしまった音楽ファンは少なくないでしょう。

今回の新作『Lust For Life』(情欲は一生もの、イギー・ポップにも同名タイトルのアルバムがありました)はタイトルからしてそういうラナの世界全開なのだけど、最近ある方が「今回はジャケでニッコリ笑ってるのが変だ。作風が変わったのか」と仰っておられ、確かにこれまでは『Born To Die』も、その次の『Ultraviolence』(2014)や前作の『Honeymoon』(2015)も、ジャケのラナは無表情でニコリともしてなかったので、今回のジャケはいつもと違うと言えば確かにその通り。

しかし今回のラナは従来の作風を変えないばかりか、ヒップホップへの接近を強めたり、これまであまり無かった個性派アーティスト達との共演などで更に自分のゴシックな音像世界をレベルアップしているように聞こえるので、ジャケの笑顔の不自然さは逆に彼女の自信、と解釈すべきなのかも。

https://youtu.be/3-NTv0CdFCk

アルバムの先行シングルとしてリリースされた冒頭の「Love」は正にそのラナ・ワールド全開の作品。低音のエレクトロベースサウンドをバックにスローモーションのモノクロ映画の場面を想起させ、夢の中から歌いかけてくるようなドラマチックなラナの歌声で既に聴く者は彼女の世界の中に。呟くようなラナのラップで始まるタイトルナンバー「Lust For Life」はザ・ウィークンドのファルセットコーラスを従えそのドリーミーさにフィル・スペクター的なプロダクションで拍車をかけ、「13 Beaches」ではフランク・オーシャンに代表される最近の音響派R&Bを彷彿させるヒップホップの影響を仄かに感じさせたりと、ドリーミーな音像と催眠的なボーカルがラナ・ワールドが炸裂する導入部を構成している。

https://youtu.be/AcVQJJoD45w

しかしこの楽曲の流れは6曲目の「Summer Bummer」で大きくヒップホップへの接近を見せてまた一段と新しいレベルへ。この曲はドレイクらとの仕事で知られるボイ・1ダことマシュー・サミュエルズをプロデュースに迎え、今NYで一番のラッパー、エイサップ・ロッキーとその舎弟で今売出し中のアトランタ出身のラッパー、プレイボイ・カーティをフィーチャーした、クレジットだけ見ると今時よくあるポップスター・フィーチャリング・ラップってな感じ。ところがラナの場合、サウンドも楽曲も、ラップの役割も完全に彼女のコントロール下に収めていて、エイサップの存在感あるフロウが単なるラナのドリーミー・ゴシック・チューンの引き立て役になってるのが凄い。続く同じくエイサップをフィーチャーした「Groupie Love」では、ラナワールドに呑み込まれそうなエイサップ、いつ出て来るの?と思ってると残り1分半で何とか存在感を示すフロウをかます辺りは流石。でも最後エイサップ、ラナと一緒に「♫Groupie Love ~」って歌っちゃってるし(笑)。

アルバム中盤は個性的な視点で曲を書くラナの面目躍如のトラックが満載。「Coachella – Woodstock In Mind」は今年4月にラナがカリフォルニア郊外のロックフェス、コーチェラ出演中に、米国海軍が日本海に航空母艦を配備したという誤報に端を発した、米朝間の急速な緊張悪化の報道を知ったラナが「少しでも世界平和が維持されるように」と、コーチェラをウッドストックになぞらえて書いたという一曲。で、その楽曲スタイルはここのとこ流行りのトラップ・ヒップホップのチキチキハイハットとシンセとストリングスで織り成す不吉な音像世界に、ラナのいつものドリーミーでシネマティックなボーカルが乗ったというもの。

God Bless America – And All The Beautiful Women In It」はそのトラップの代表的プロデューサーで今売れっ子のメトロ・ブーミンことリーランド・ウェインプロデュースの、これがちっともトラップっぽくない完全ラナ・ワールド(笑)。そしてコーラスで「これは一時代の終わり?それともこれはアメリカの終焉なの?」と歌う「When The World Was At War We Kept Dancing」も、前出の「Coachella~」同様、北朝鮮危機の最中にコーチェラのフェスで盛り上がっていた自分達を意識した、不吉でドヨーンとしたトラックをバックにラナが夢の中のように歌う、というこの辺りの楽曲には強い緊張感を感じる。

https://youtu.be/CU8pjcgp8J8

このアルバムのもう一つの聴きどころは、ヒップホップ以外の個性派アーティスト達との共演ぶり。いかにもな取り合わせのスティーヴィー・ニックスとのデュエット「Beautiful People Beautiful Problems」はこのアルバムで唯一普通のピアノで始まる美しいメロディと、この二人のペンによるのが納得できるにちょっとクセのあるサビが魅力的な曲。そして個人的にはこのアルバムで最も興味深かったショーン・レノンとのコラボ「Tomorrow Never Came」。この曲だけが唯一、ラナの手から楽曲のコントロールが離れてショーンの手に移っている感じが凄くして、そればかりかコード進行といい、メロディの感じといい、ビートルズ後期の香りを強烈に感じたのはちとうがち過ぎか。しかしショーンのボーカルが出てきた瞬間にジョンを思わせる存在感は凄いの一言。ここばかりは客演者がラナに勝っている瞬間だった。

アルバムはこの後何事もなかったかのようにラナ・ワールドの楽曲スタイルに戻り、「Heroin」「Change」そしてあの音像をバックに60年代ガールポップ風のメロディをラナがだるそうに歌う(笑)「Get Free」でエンディングを迎える。

つまるところこのアルバムは、これまで独自のカリスマティックで独特の音像世界による楽曲スタイル一本で来たラナが、ヒップホップやトラップ、更には他のアーティストとの共演共作など、今のメインストリームにもちょっと寄り添って見せているのだけど、楽曲についてのコントロールは一切渡さず(ショーンとの楽曲はその唯一の例外)自分の音世界、イマジャリーを更に一段進化させている、そんなアルバムに思える。

こうしたラナのスタイルが好きか嫌いかで、このアルバムに対する(というかラナ・デル・レイというアーティストに対する)評価は大きく分かれてしまうのだけど、特に奇抜なことをせずにそれでいて誰が聴いてもラナ独自の世界だということが分かるものを作り上げている、と言う意味では少なくとも一聴に値する作品だと思う。普通でないポップ・ミュージックが好きな方には是非お勧めです。

<チャートデータ> 

ビルボード誌全米アルバム・チャート 最高位1位(2017.8.12付)

同全米オルタナティヴ・アルバム・チャート 最高位1位(2017.8.12付)