新旧お宝アルバム!#67「There’s No Place Like America Today」Curtis Mayfield (1975)

2016.12.5

新旧お宝アルバム #67

There’s No Place Like America TodayCurtis Mayfield (Curtom, 1975)

いよいよ2016年も12月に突入。洋楽ファンにとっては年間ランキングの発表やグラミー賞ノミネーションの発表などイベント続きで、いろいろと盛り沢山な日々でしょう。またこの月はクリスマス商戦を見込んでか、いろいろ魅力的な企画盤やボックスセット、また思わぬアーティストの新譜がリリースされる時期。前者の例ではボブ・ディランの1966年の「リアル」ロイヤル・アルバート・ホールのライヴやローリング・ストーンズのブルース・カバー・アルバム、後者の例ではブルーノ・マーズの新譜などがそう。いずれにしても今年も12月は洋楽ファンには楽しくも忙しい月になりそうですね。

さて今週の「新旧お宝アルバム!」は、先日のアメリカ大統領選でトランプが当選して以来、何かと不穏なニュースが絶えない状況を思いながら、約40年ほど前にこれによく似た不穏な状況に対するメッセージとも思える内容でリリースされた、ソウル界のレジェンドの一人、カーティス・メイフィールドのアルバム『There’s No Place Like America Today』(1975)をご紹介します。

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カーティス・メイフィールドという人は、日本では洋楽ファンの間でもかなりのソウルR&Bファン以外には今ひとつ馴染みきれないタイプのアーティストかもしれません。彼は一般的には1972年のブラック・シネマの傑作の一つ『Superfly』の主題歌(全米最高位8位)や、同じ映画からのヒット曲「Freddie’s Dead」(同4位)で知られていますが、60年代に所属していたソウル・グループ、インプレッションズで活躍していた時代から、その独特の都会性とアーシーさを兼ね備えたサウンドメイキングと、「People Get Ready」(ジェフ・ベックロッド・スチュアートのカバーが有名)や「We’re A Winner」など黒人公民権運動を支持する内容のソングライティングで、シーンでは独自の地位を築いてきたシンガーソングライターです。

また彼の歌唱スタイルは主としてファルセットに近い高く細いボーカルによる、メロディ重視というよりもグルーヴ重視のスタイルのものが多く、このあたりがどちらかというとメロディアスでキャッチーなサウンドを好むファンの皆さんの間では今ひとつ支持を得られていない理由の大きなところ。

その彼がちょうど10年にわたってアメリカの経済と人心を揺り動かしたベトナム戦争がようやく終結した1975年にリリースしたこの作品、タイトルからして「今のアメリカほど素晴らしいところはない」と皮肉たっぷりです。アルバムジャケットも、上半分には白人家族が楽しそうに車に乗っているイラストにかぶせるように下半分には食料配給を受け取るための黒人たちの列の写真が配されており、人種貧富間格差は厳然としてあるのだ、という痛烈なメッセージを表しているものです。

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全7曲、すべてカーティスのペンによる楽曲で構成されたこのアルバム、サウンド的には淡々としたほぼ平板なメロディの楽曲が多く、演奏は70年代前半多用されたワウのかかったギターストロークをゆったりとしたグルーヴの、しかししっかりとしたリズムセクションが支えるところに、どちらかというと中音以下の低めのフレーズやオブリガードを奏でるエレピがからみ、そこにカーティスのファルセットっぽいボーカルが切々とメッセージを訴える、と言うスタイルがほとんど。従って明るいホーンセクションもフィーチャーし愛の素晴らしさをストレートに歌った「So In Love」以外はマイナー調の曲で占められ、全体的には何となく黄昏れたイメージが色濃く出ているアルバムなのですが、カーティスのファルセット・ボーカルはこうした一見単調にきこえる楽曲に不思議にポジティブなテンションと輝きを与えています。

楽曲のアレンジ以上に重要なのは歌詞。いきなり通りで撃たれた友人の話でガンコントロールの問題点をえぐる「Billy Jack」、季節が変わるごとに苦しみがまた始まる、と歌う「When Seasons Change」で黒人社会の現実を取り巻く無力感を歌う楽曲に続いて歌われるのは、カーティスの曲の中でも最もポジティヴで明るく、喜びに満ちたトーンで愛の素晴らしさを歌う「So In Love」。一方、ゴスペルバラード風のトラックに乗って、救いを求めるには自分の内なる神に話しかけよ、というカーティスの冒頭のつぶやきに対して、今の世界は自分たちを奴隷のように扱う世界だし、子供達が飢えるのを見るくらいであれば墓に入った方がいい、といったネガティブなカウンターメッセージを突きつける「Jesus」、悩みの尽きない人々のことを歌う「Blue Monday People」、この街では愛など見当たらないと歌う「Hard Times」などやはりアルバムのほとんどはヘヴィな現実を淡々と歌う歌で占められています。

この「Hard Times」は、後にジョン・レジェンドザ・ルーツが、オバマ大統領就任を祝福するコラボ・アルバム『Wake Up!』(2010)発表の際、その冒頭でカバーされていた曲。もちろんこの時はオリジナルのカーティスの曲が歌われた頃とは状況はかなり変わっていたはずですが、根本のところは依然として変わっていない、と言うためのカバーだったのでしょう。

最後の「Love To The People」も、失業や不景気なニュース、食卓には豆料理しか上がらないような厳しい状況を淡々と歌いながらも、自分はあきらめない、救いはないと皆は言うけど人々に愛を与えれば魂は救われるはず、と若干の希望を表明しながらアルバムは終わります。

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トランプの大統領選当選以来、全米各地で伝えられる有色人種や移民系市民に対する差別的な言動や行動がこうした人々の不安をかき立てており、このアルバムから40年経った今でも問題の本質は決して消えてはいないことが改めて明らかになっています。そうした今の状況を思うにつけ、今以上に厳しい状況に直面していたこの時代にこうしたアルバムをリリースしていたカーティスの気持ちに思いを馳せて、改めてこうした差別的な状況について考えるのが、カーティスのメッセージへの正しい反応ではないかと思えます。

近年若い音楽ファン達の一部に「音楽に政治を持ち込むのは反対」といった意見があるようで、今年夏の野外フェスでの演奏の際、政治的なコメントをしたりメッセージを歌に乗せることへの反発がネット上やSMSで多く飛び交ったようです。しかしこれはおかしなことではないでしょうか。音楽に限らず、演劇や文学など芸術的表現活動というのは、その時代時代の政治的・社会的な問題意識と無縁であったことは歴史的に一度もなく、むしろそうした政治的・社会的な問題に対する風刺や批判を、芸術的な形で表現することが存在意義(レゾン・デタール)であったはずです。

カーティスに代表されるR&Bも、サム・クックの「A Change Is Gonna Come」(キング牧師らの黒人公民権運動のアンセム的有名曲)やスティーヴィー・ワンダーの「You Haven’t Done Nothing」(ウォーターゲイト事件で失脚した当時のニクソン大統領を痛烈に批判)を引き合いに出すまでもなくこうした批判精神がその根本ですし、ロックにしてもウッドストック・フェスティヴァルボブ・ディラン、日本の忌野清志郎らの一連の作品に明らかなように、本来反体制的な価値観の新しい音楽表現スタイルであり、その時代時代の社会批判・政治的立場表明のための表現手段であったはずです。

上記の政治嫌いの音楽ファンの皆さんにはどうかそのあたりをもう一度思い出して頂き、このカーティスのアルバムの心に重い、しかし重要なメッセージを乗せた素晴らしいR&Bサウンドを耳を傾けて頂きたいものです。

 <チャートデータ>

ビルボード誌全米アルバム・チャート 最高位120位(1975.7.19付)

同全米ソウル・アルバム・チャート 最高位13位(1975.7.19付)