新旧お宝アルバム!#62「Just A Little Lovin’」Shelby Lynne (2008)

2016.10.24

新旧お宝アルバム #62

Just A Little Lovin’Shelby Lynne (Lost Highway, 2008)

9月後半から続いていた不順な天候もようやく落ち着き、先週くらいから秋らしい天候の日々が続いていて、音楽鑑賞はもちろんのこと、アウトドアや行楽にももってこいの今日この頃、皆さんもこの秋を満喫していることと思います。

さて、今週の「新旧お宝アルバム!」はここ最近の作品の中からそんな秋の雰囲気をたっぷりと湛えた、この季節しみじみと聴くのに正にうってつけの作品、シェルビー・リンの2008年の作品『Just A Little Lovin’』をご紹介します。

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シェルビー・リンというシンガーは、活動ベースはナッシュヴィルでありながら、常にどちらかというとスタンダードなカントリーと言うよりは、ややロック寄りの、シンガーソングライター的な立ち位置の作品を常に届けてきていて、他のナッシュヴィル系のシンガーとは明らかに異なる「におい」のようなものを持ったアーティスト。

かといってそのロック寄りのスタンスというのは、エミルー・ハリスルシンダ・ウィリアムスといった、ここ最近の一つのメインストリームである「アメリカーナ」というジャンルでくくるにもちょっと躊躇う感じで、どちらかというとUKのインディ・ロックの女性シンガーソングライターあたりと共通するような、そんなクールさ、物事を常に斜に見つめているような、やや闇を抱えているようなところが奇妙な魅力だったりします。

彼女についての有名なエピソードというと、2000年のグラミー賞でメジャー6作目のアルバム『I Am Shelby Lynne』(これも名盤ですが)で新人賞を受賞した時行った「6枚もアルバムを出した私がこの賞を頂いてアカデミーに感謝します」という皮肉な受賞スピーチが記憶にありますが、もう一つ、彼女の作品の闇の部分を説明する話として、アルコール依存で家庭内暴力を繰り返していた父が、シェルビー17歳の時にシンガーだった母親を射殺して自殺するという衝撃的な経験があります。彼女と妹のアリソン(・ムーラー、やはり実力派のカントリー系のシンガーソングライター)はそうした重い経験を経て、今の作品群を生み出していることを考えると、その独特の作風・スタイルも納得のいくところです。

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そのシェルビーにとって10枚目のアルバムとなったこの『Just A Little Lovin’』、ジャケの片隅に「Inspired by Dusty Springfieldダスティ・スプリングフィールドに触発されて)」とあるように、アルバム・コンセプトはシェルビー自身が大変影響を受けたという、60年代に活躍したイギリス人女性ブルー・アイド・ソウル・シンガー、ダスティ・スプリングフィールドの楽曲9曲のカバーで作品を構成する、というもの。

しかもダスティの代表作で名盤とされ、ダスティがテネシー州メンフィスで録音した『Dusty In Memphis』(1969)収録の曲を中心に構成するというもので、アルバムジャケのシェルビーのポーズも『Dusty In Memphis』のオマージュになっている、という徹底ぶり。

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そうしたコンセプトをもとに、ビリー・ジョエルの有名作品のプロデュースで有名なフィル・ラモーンがプロデュース、そしてジャクソン・ブラウンLate For The Sky』(1974)のプロデュースやジャズ系の名盤のエンジニアリングで有名な名匠アル・シュミットのエンジニアリングで作られたこの作品は、とにかくその音像の深さというか、音の世界の広がりが素晴らしい盤です。しかもその音像の中で特にシャウトや声を決して張り上げたりすることなく、淡々と、しかし秘めるエモーションを静かに盛り上げるようなシェルビーのボーカルの素晴らしいこと。

彼女のブレイク作となった『I Am Shelby Lynne』でも彼女の静かなボーカルの裏に重い情念がメラメラと燃えさかっているような鬼気迫る迫力がありましたが、この作品ではその情念を秘めたボーカルが一段昇華されていて、素晴らしいパフォーマンスに仕上がっています。正に一流のサウンドメイカーと独特の才能が有機的な化学反応を起こしたアルバムと言っていい出来になっているのです。

静かなイントロで始まるタイトル曲は、そのコンセプトの元となった『Dusty In Memphis』収録曲で名シンガーソングライター・チームのバリー・マン&シンシア・ワイル夫妻の作品。ダスティのオリジナルはバックにストリングを配したいかにも60年代ポップ・スタンダードですが、シェルビーのバージョンは中西部の音楽パブで、お客がいなくなった後、バンドとシンガーがひっそりとリハーサルをしている、といった風情のとてもミニマルなものながら、既にシェルビーのボーカルは強い存在感を放っています。

バカラック・メロディでディオンヌ・ワーウィックルーサー・ヴァンドロスの名唱でも知られる「Anyone Who Had A Heart」、こちらはエルヴィスのカバーがあまりにも有名で、シェルビーのアカペラのボーカルで始まる「You Don’t Have To Say You Love Me」、そして見事なスローシャッフル・ナンバーにアレンジされた、トップ40ファンにはベイ・シティ・ローラーズのカバーでおなじみの「I Only Want To Be With You」など、そもそもダスティが世に発表してその後有名曲となっていった言わばポップ・スタンダード曲が続きますが、いずれも1曲目同様音数は極端に少なく、ただ控えめな名手ディーン・パークスのギターとドラムス、時々絡むフェンダー・ローズとシェルビーのボーカルが確固たる存在感で響いてきます。

しかしこのアルバムのハイライトは何といってもそれに続く「The Look Of Love」。オリジナルのダスティによるこのバカラック・ナンバーの歌唱もスローですが、さらにその半分くらいにテンポを落として、同様にミニマルなサウンドによる演奏が始まる前に闇の中からむっくりと起き上がるようなシェルビーの歌い出しには、思わず鳥肌が立つような迫力を感じます。

アルバム後半は『Dusty In Memphis』からの「Breakfast In Bed」やランディ・ニューマン作の「I Don’t Want To Hear It Anymore」など、ややテンポを上げた、それでもやはり音数を抑えた演奏をバックの楽曲や、ドブロをフィーチャーしてこのアルバムで一番ナッシュヴィルっぽいアレンジの、トニー・ジョー・ホワイト作「Willie And Laura Mae Jones」、そして本作唯一シェルビー自作によるアコギ弾き語りによるバラード「Pretend」など、前半とやや音像、アレンジを変えながら、アルバム全体の過剰な音のそぎ落とされた音像イメージをキープした楽曲が続きます。

アルバムラストは、またアコギ一本というこのアルバムを象徴するようなシンプルなアレンジで、ヤング・ラスカルズ1967年の大ヒットでダスティが後にカバーした「How Can I Be Sure」をおそらくこのアルバム中最も明るいトーンのシェルビーの歌声で締めくくられます。

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ダスティのカバー・アルバム、というコンセプトはシェルビーが交流のあるバリー・マニローの強いすすめが最後の一押しとなって日の目を見たようなのですが、やはりシェルビー自身の卓越した歌唱とその迫力、そして名匠フィル・ラモーンアル・シュミットによる無駄を極限までそぎ落としたアレンジと音像構築がこの傑作カバー・アルバムを実現できた大きな要素です。

深まり行く秋、できればこのアルバムのアナログ・レコード(最近リイシュー盤で発売されています)に針を落とし、是非ウィスキーかワインでも味わいながらじっくりと、シェルビー・リンの素晴らしいボーカル・パフォーマンスを楽しんでみて下さい。

<チャートデータ>

ビルボード誌全米アルバム・チャート最高位41位(2008.2.16付)