2016.10.31
新旧お宝アルバム #63
『The Fifth Avenue Band』The Fifth Avenue Band (Reprise, 1969)
このコラムがアップされる頃には既にワールド・シリーズも日本シリーズも結果が出ている頃でしょうか。街はハロウィーンのカボチャで埋め尽くされ、先週くらいから一気に低くなった気温ですっかり晩秋の装いとなってきている中、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
今週の「新旧お宝アルバム!」はこうした秋の雰囲気によく合った、懐かしさと甘酸っぱさとオプティミズムに満ちたR&Bやフォーク、ブルース、ジャズといった様々な音楽の香りを漂わせるポップ楽曲満載のアルバム、一部のファンには既に名盤の評判高いザ・フィフス・アヴェニュー・バンドの事実上の唯一のアルバム『The Fifth Avenue Band』(1969)をお届けします。
このフィフス・アヴェニュー・バンドは、高校の同級生だったピーター・ゴルウェイ(g., vo.)とケニー・アルトマン(g., b.)を中心に1965年に結成、このアルバム制作時のジョン・リンド(vo.)、ジェリー・バーナム(b., フルート)、マレー・ワインストック(kbd.)そしてピート・ヘイウッド(ds.)の5人のラインアップとなったのは1968年で、R&Bやフォーク的な要素をその楽曲スタイルに持ったポップ・ロック・グループ。もっぱらNYのグリニッジ・ヴィレッジを中心に活動していたイースト・コーストのバンドですが、60年代後半当時のヴィレッジというと、有名なライヴ・ハウスのビター・エンドやカフェ・ホワ?などで、先日ノーベル文学賞を受賞したディランやローラ・ニーロといったフォーク勢のみならず、フランク・ザッパや若きニール・ヤングといったロック系や数々のジャズミュージシャン達が跋扈していた、いわばミュージシャン梁山泊のような場所だったようです。
そんな中で自らのサウンドを模索しながらライヴを重ねていたバンドは、やはりNYベースで、60年代後半独特のポップ・センスで数々のヒットを飛ばしていたラヴィン・スプーンフルの中心メンバー、ザル・ヤノフスキーとジェリー・イェスターとめぐり逢い、彼らのプロデュースでアルバムを録音することに。当時LAへ拠点を移していたプロデューサーの二人に従い、LAで録音されたのがこのアルバム。
アルバム全体のサウンドはR&B、フォーク、ブルース、ラテン、ジャズなど様々な音楽要素を持ちながら、西海岸での録音によるためか明るい開放的なサウンド。しかしイーストコーストのバンドらしく、都会的なソフィスティケイトされたところもふんだんに持ったサウンドで、プロデューサーの二人の影響もあってか、ラヴィン・スプーンフルっぽいひたすらハッピーなところも持ってるサウンドに仕上がっています。その洗練されたサウンドは、子の作品が1969年に作られたアルバムであることを忘れさせるほど。こうしたサウンドをリリース当時聴いて大きな影響を受けたのが、当時レコードデビュー前だった山下達郎。彼はこのアルバムを、自分の作曲における大きな影響の一つとして公言しているほどです。
アルバムは、どちらかというと当時人気を集めつつあったスワンプ的な楽曲スタイルで、変速リズムを持ったゆったりとしたピーターのペンによるロック・ナンバー「Fast Freight」でスタート。続く「One Way Or The Other」は70年代中盤以降のAORシーンにおいても全く違和感のないほどのシティ・ポップ・ナンバー。しかもここでのジョンのボーカルやコーラスワークは山下達郎のボーカルスタイルや後の作風に酷似していて、達郎は正しくこのアルバムをお手本にしていたことが如実に判ります。
その次の「Good Lady Of Toronto」はまた一気に60年代後半のサウンド(でも当時としてはかなり最先端のサウンド)に戻って、バックにスティールギターを配し、CSN&Yや初期のポコあたりに通じるカントリー・ロック・バラード。続く「Eden Rock」はラテンテーストたっぷりのコンガをバックに、クラシックス・フォーやゾンビーズあたりがやりそうな60年代後半然とした、R&Bテイストのポップ・ナンバーです。
キャロル・キングやローラ・ニーロあたりのこの時代の優れたシンガーソングライターが書きそうな「Country Time Rhymes」の後は、これまた70年代初頭のウェストコーストロック的な「Calamity Jane」を経て、このアルバムで一番ラヴィン・スプーンフル的なハッピーなポップセンスが炸裂するウキウキするようなミディアム・テンポのナンバー「Nice Folks」。コーラスの付け方がこの時代のクオリティの高いポップナンバー、という感じ満点です。その後も基本的にハッピーなポップ・ナンバーが続き、アルバム最後は本作中唯一ジョンのペンによるピアノを基調としたややマイナー調なメロディが印象的な「Angel」で幕を閉じます。
このアルバムは、リリース当時(今でもそうですが)日本では非常に知名度は低く、当時聴いていたのは前述の山下達郎を始めとする、当時のツェッペリン最高、ジミヘン最高、クリーム最高、といったような風潮に与しない、CSN&Yを始めとするクオリティの高いポップ・ロックを支持するミュージシャン達を中心とした極めて限られた洋楽ファンだったようです。その後長く歴史の中に埋もれていたこのアルバムに光を当てたのは、80年代AORファンの聖地と言われた南青山のレコード店、パイド・パイパー・ハウスの店長だった長門芳郎氏を中心とした人々。このアルバムはそうした熱心なファンにより、オリジナルリリース30年後の1998年にワーナーミュージック・ジャパンでCD再発されています。そのCDには、バンドのオリジナル・メンバーが日本からのCD再発のオファーを受けてびっくりした、というようなライナーノーツも寄せられていて、日本の熱心なファンがこの歴史に埋もれた名盤を発掘してくれたことには感謝の念を禁じ得ません。
残念ながらこのアルバムは商業的にかなり期待されたものの全く成功とはいえず、当時としてはかなり先進的なサウンドであったにも関わらずそうしたことについての評価も得られず、メンバー失意のうちに1970年にはバンドは解散しています。しかしメンバー達はその後それぞれのフィールドでそれぞれの活躍をしていて、ジョン・リンドは70年代にヴァレリー・カーターとハウディ・ムーンを結成して珠玉のアルバムを作った後、80年代以降はEW&Fの「Boogie Wonderland」(1979年全米6位)、マドンナの「Crazy For You」(1985年全米1位)、ヴァネッサ・ウィリアムスの「Save The Best For Last」(1992年全米1位)といった大ヒット曲を次々に書いて成功を収めています。それ以外のメンバーも様々なバンドのバックアップやプロデュースなどでその後も着実にシーンで活動して成功を収めていて、彼らのバンドとしての作品の商業的な不成功が必ずしも彼らのキャリアの失敗になっていないことは素晴らしいことだと思います。
1969年当時としては素晴らしく先進的なポップ・サウンドを実現したと言う意味で素晴らしい功績を成し遂げたこのアルバム、秋の深まる今の時期に改めて楽しむには絶好のアルバムだと思います。お手にとる機会があったら、是非一度耳を傾けてみて下さい。
<チャートデータ>
チャートインなし