2020.7.20
「新旧お宝アルバム !」#186
『Love Over Gold』Dire Straits (Warner Bros., 1982)
アメリカも含めここ日本でも、東京の新規感染者数が連日300に迫る勢いでコロナ感染者の再拡大の流れが歴然となってきたこの週末、三浦春馬さんの自殺という更に憂鬱と不安を深めるようなショッキングな事件も起きてなかなか気持ちを明るく持つのが難しいのですが、こういう時こそコロナ対策には気を抜かずに、いい音楽で気持ちの高揚感を図りたいものです。
さて今週の「新旧お宝アルバム!」は久しぶりにちょっと昔に戻って、1980年代初頭のアルバムを取り上げてみたいと思います。今週取り上げるのは、ダイア・ストレイツの『Love Over Gold』(1982)。ロック・シーン一の表現力あるストラトキャスターのプレイで知られるマーク・ノップラー率いる、80年代を代表するバンドの一つ、ダイア・ストレイツが、あの世界的大ヒット作『Brothers In Arms』(1985)でMTV世代を代表するバンドにのし上がる直前のアルバムとしてリリース、ある意味その後90年代から現在に至るまでのマークのソロ・キャリアの基礎を築いたといってもいい作品です。
1978年、音楽シーンは70年代後半にマスプロ化したロックへのアンチテーゼとして登場したパンク・ロックやニューウェイヴが台頭し始めた頃、それとは全く異なる音楽スタイルで忽然と現れたのがダイア・ストレイツ。イギリスのパブロック・バンドのような雰囲気の演奏ながら、フィンガーピッキングで爪弾くようにストラトを操るマークのギターワークと、まるでディランのように半分つぶやくように歌うそのスタイルは当時かなり新鮮で、デビュー曲の「Sultans Of Swing(悲しきサルタン)」は英米で大ヒット(全米4位、全英8位)、日本でもシーンの動きに敏感な洋楽ファンの間で話題になってました。ライブを見たディランが、当時録音していたゴスペルスタイルの新作『Slow Train Coming』(1979)の録音に、即座にマークを呼んだくらい、当時は特に音楽関係者の間で評判を呼んだものでした。
一方、このどちらかというとアップビートでレトロなブルース・ベースのギター・バンド、的なスタイルが初期のダイア・ストレイツのある意味ステレオタイプとなった感は否めず、3枚目の『Making Movies』(1980)はそのステレオタイプのスタイルとしては高いクオリティのマークのギターとバンドのパフォーマンスで、評論家筋には高い評価を得ていて、英米ではそこそこの売上は確保していたものの、日本ではほぼ忘れ去られたような状態だったと記憶しています。
そのダイア・ストレイツが、一般の洋楽ファンのレーダーに再び飛び込んで来たのは、その2枚後の『Brothers In Arms』と、スケールの大きなサウンドと斬新なコンピューター・グラフィックのアニメーションで目を引くPV、そして当時絶頂期だったMTVを皮肉った歌詞が評判を呼んだ「Money For Nothing」(全米3週1位、全英4位)の爆発的な大ヒットでした。当時、小林克也さんの『ベスト・ヒットUSA』でも毎週のようにPVと曲がかけられ、ダイア・ストレイツの名前を知らない洋楽ファンはいなくなり、ダイア・ストレイツ=「Money For Nothing」という新たなステレオタイプが出来上がったのです。しかし、初期の3作と、『Brothers In Arms』の間の楽曲スタイルやサウンド・アプローチの違い、特に後者でのギターが軸でありながら、非常にスケールの大きい、様々なイメージを想起するような表現力豊かな音像が特徴的な楽曲スタイルへの変貌を当時指摘したメディアは少なかったと思います。そして、自分の考えでは、『Brother In Arms』でのダイア・ストレイツの音像楽曲的な進化のスプリングボードとなったのは、実はその前作である、今回取り上げる『Love Over Gold』だったのでは、ということです。
『Love Over Gold』は様々な意味でそれまでのダイア・ストレイツのアルバムとは一線を画した、分水嶺的な作品でした。まず収録楽曲の構成と音像のアプローチがそれまでと大きく異なっているのです。
それまでの3作は5〜6分程度の曲が7〜9曲ほど収録されている、そのほとんどが前述したレトロでルーツな感じのバンド・サウンドによる楽曲、言って見ればイギリスのライ・クーダーか、とでも表現できるような楽曲が中心でした。ところがこの『Love Over Gold』はいきなり14分18秒の長尺曲「Telegraph Road」で始まる、わずか5曲のアルバムなのです。しかも収録されている楽曲が、それまでの作品の曲調に最も近い「Industrial Disease」も含めて、いずれも無茶苦茶広がりのある空間を想起させる、大自然のスペクタクルのようなスケールの大きい音像で表現されていて、壮大なドキュメンタリー映画のスコア音楽のような世界観を提示しているのです。3作目までにも、ちらほらと映画音楽のスコアに使えそうな音像の楽曲もありましたが、ここまで徹底的に統一した世界観を提示したのはこのアルバムが最初。
そしてその世界観を見事に象徴しているのが黒雲で埋め尽くされた闇の空に猛々しく走る稲妻のアルバムジャケ。ある雑誌のコラムにも書きましたが、ここまでジャケの想起するイメージと盤の内容が見事にマッチしているアルバムもなかなか珍しいと思います。そしてこの世界観を作り挙げることに貢献したのは、これ以降様々な映画のスコア音楽を手がけたことからも明らかなように、もともとマークの中にあったギターを軸として映像を想起させる作曲センスとそれを表現する音像を極限までに磨き上げた、エンジニアのニール・ドーフスマン。ブルース・スプリングスティーンの『The River』(1980)のエンジニアとしての仕事で頭角を現し、このアルバムでマークと初めて組んだニールは、この仕事を契機に次の『Brothers In Arms』ではプロデューサーとしてマークと共にグラミー賞にノミネートされ、後にはスティングの『Nothing Like The Sun』(1987)のプロデューサーとして再びグラミー賞ノミネートされるなど大きくキャリアを伸ばすことになったのです。
14分超の大作でアルバムのオープニング曲「Telegraph Road」は正にそうした新しい音像スタイルをいかんなく表現した、それ自体が映画のような作品。押さえ目に使われたシンセの音色と、ダイナミックなドラムスのリズムと音色、そして表現力たっぷりにマークのストラトの音色が見事に渾然一体となって、後半には徐々にペースを上げていき一気にカタルシスまで突っ走ってしまう、あっという間に過ぎてしまう14分。そしてこのアルバムでは愛器ストラト以上に音像表現と世界観の構築に大きな役割を果たしているアコギ、それもオヴェーションのクラシックギターと12弦ギターがヨーロッパ的な雰囲気を作りあげていて、ほとんど全編通じて昔の映画のスコアをバックにマークが呟いているような「Private Investigations」も、私立探偵のしがない日常を嘆く詞とあいまってこのアルバムの世界観の一端を作ってます。
B面の「Industrial Disease」はこれまでの3作でも見られた、ブルース・リフのマークのギターワークがいい、ブギウギっぽいリズムで軽快に展開するナンバーですが、ここでもニールの仕事と思われるダイナミックなドラムスの音像処理がやはり一味も二味も違う楽曲に仕上げてます。そしてこうした軽快な曲なのに歌詞の内容はタイトルが示唆するように社会的な問題を皮肉ってるのがマークらしいところ(「あいつら俺たちが日本製品買わないように戦争やりたがってるんだ」なんて歌詞にはニヤリとしますね)。そしてまたリリカルなイメージがふんだんに盛り込まれた音像によるアルバムタイトル・ナンバー「Love Over Gold」から、アルバムラストはオルガンの音色とマークのストラトの音色が絡まりながら、訥々と語り部のようなマークの歌がアルバムをクロージングに導く「It Never Rains」で、このアルバムの音像の旅は終わりとなります。
このアルバム、UKでは見事1位を獲得し、「Private Investigations」はシングルとして最高位2位となるなど、本国では評価が高かったのですが、アメリカではアルバムがトップ20に入るのがやっと。次の『Brothers In Arms』の予想以上の大成功でバンドが疲弊してしまったこともあってまもなくマークはダイア・ストレイツを解散して、『Local Hero』(1983)や『Princess Bride』(1987)といった映画のスコア音楽を担当してソロ活動の手応えを確認したのか、1990年代後半から現在に至るまで映画のサントラを含む、ソロ・アルバムや他のアーティストとのコラボアルバムをほぼ2年に1枚ペースで、コンスタントに発表しています。その作品はいずれもマークのイメージを想起させる音像を駆使した作曲スタイルが如実に発揮された、好作品ぞろいで、しかもほとんどが英米でトップ20以内にチャートされるくらいの成功を確保してるあたりも大したものです。個人的にはあのエミルー・ハリスとコラボして一緒にツアーまでやった、『All The Roadrunning』(2006)が、エミルーの澄み切ったコントラルト・ボーカルとマークの楽曲との相性もよく、とてもお気に入りです。
2018年には、レコードとCDと分厚いブックレットをセットにしたボックス仕様の新作『Down The Road Wherever』をリリース、その健在ぶりを示してくれたマーク・ノップラー。ダイア・ストレイツの再結成は彼によると「とても想像が付かない」とのことなので、彼のギターと楽曲を楽しみ続けるためにも、まだまだ彼には作品を定期的に発表していってもらわねばいけませんね。
<チャートデータ>
ビルボード誌全米アルバムチャート 最高位19位(1982.11.13-27付)
全英アルバムチャート 最高位1位(1982.10.2-23付、4週連続1位)