新旧お宝アルバム!コロナ追悼企画 #176「John Prine」John Prine (1971)

お知らせ

2020.4.27

「新旧お宝アルバム !」〜コロナ追悼企画〜 #176

John PrineJohn Prine (Atlantic, 1971)

コロナ対策の外出自粛で家こもりの状態になっている方も多いと思いますが、この週末は天気も良かったしなかなか辛いところだったですね。でもそんな中でもいつもは時間がなくてできない読書や映画三昧、と言う方も多いかもしれません。今週からはついにゴールデンウィークがスタートしますから、やることはいろいろと考えておいた方がいいですね。

さて前回までは2010年代アルバムの紹介で新しいところを大分続けましたので、今度は古いアルバムを若いリスナーの方々にも聴いて欲しいということで1970年代のアルバムです。今回はコロナを目一杯蹴散らしたい、と言う思いも込めて、先頃コロナによる急性肺炎で惜しくも他界してしまった、70年代を代表するカントリー・フォーク系のシンガーソングライターで、カントリーやフォークの世界だけでなく、ロック・シーンからも多くのリスペクトを集めていたジョン・プラインの冥福を祈りつつ、彼が静かなデビューを飾った、1971年のファースト・アルバム『John Prine』を取り上げることにします。

ジョン・プラインという名前は、日本においては1970年代の英米のシンガーソングライターを語る時に必ず口に昇る名前、と言うわけではありませんよね、残念ながら。どうしても70年代シンガーソングライターというと、ジェイムス・テイラー、ジョニ・ミッチェル、ボブ・ディラン、ニール・ヤングといったあたりの名前が出ることが多いわけで。

その一つの理由は彼の音楽スタイルがメインストリーム・ポップではなく、よりカントリー・フォーク寄りで、いわゆるシングルヒットというものがほとんどなかったこと(ビルボード誌Hot 100ヒットは皆無ですw)、そしてもう一つの理由は、彼の自作自演する曲のリリックの内容が,アメリカの社会にいる普通の人達の様子を淡々と、シンプルに描くというもので、それが聴く者の共感を呼んでいた、ということにあったと思います。兵役から戻って来た男の話だったり、ある時は不況で仕事もなく辛い毎日をいろんなことで紛らわす男の話だったり、またある時は友人達もみんな死んでしまって寂しく暮らす夫婦の話だったり。なかなか日本では人気を呼ぶタイプのシンガーソングライターではなかった、というわけです。

しかし、郵便配達夫から音楽の世界に入ってシカゴのクラブで細々と演奏していたジョンを見出したのは、60年代から70年代にかけてフォーク・カントリーの代表的シンガーソングライターだったクリス・クリストファーソン(70年代はリタ・クーリッジの旦那で、レディ・ガガがこの間やった映画『スター誕生』の1976年版でバーブラ・ストライザンドと共演していたことで有名)で、彼が始めてジョンの演奏を聴いた時は「まるで60年代のNYヴィレッジのフォーク・シーンで偶然ディランに出会ったような気がした」と言っていたほど。そのクリスがNYにジョンを招いて、当時のアトランティック・レコードの社長だったジェリー・ウェクスラーがいるビター・エンドの観客の前で演奏して、翌日にアトランティックと契約した、という話が残ってます。

そうしてリリースされたのが今日ご紹介する彼のファースト・アルバム。当時もシーンでは高く評価されたものの、商業的には振るわず。しかしここをスタートに、ジョンは「シンガーソングライターの中のシンガーソングライター」「シンガーソングライター界のマーク・トウェイン」と、そのシンプルで美しい曲と、個性に溢れて強く印象に残るストーリーテリングで、ミュージシャン達から70年代から今に至るまで高いリスペクトを受けてきました。

何しろ、あのディランが「ジョンの歌はアメリカ中西部の心象風景へ一気に連れて行ってくれる、しかも美しい歌で。その独自のストーリーを持った歌詞は、あんな歌、ジョンしか書けない」と手放しですし、このアルバム収録の「Sam Stone」をカバーしたカントリーの巨人、ジョニー・キャッシュは「普通はあまり音楽は聴かないが、自分が曲を書きたいモードになると、4人くらいの自分が尊敬する作者の曲をかけるんだ-ジョンはその一人だ」と言ってます。また変わったところでは元ピンク・フロイドロジャー・ウォータースが、レディオヘッドの曲とフロイドの曲の近似性について聞かれた時、「レディへはあまり聴かないんだ。彼らの曲を聴いても、例えばジョン・プラインみたいに自分の感情を動かさないし。ジョンは桁外れに雄弁な曲を書くんだ。多分ニール・ヤングとかジョン・レノンとかと同じレベルで」と最高の賛辞を送っているのです。

ファースト・アルバムのオープニングは、それまでに彼が書きためてライブでも演奏していて、クリストファーソンがぶっ飛んだ、と言う曲の一つ、「Illegal Smile」。ジョンのアコギとホンワカとしたエレピだけのシンプルなバラードで、彼はこんな話を歌に乗せて聴かせてくれます。

「この間銀行口座の残高をチェックしたらめっきり少なくなっていた

時々オレの行き先はどん底しかないんじゃないかと思う

夢を追いかけたこともあったけど気がついたら引き返せない行き詰まり

オレの友だちもみんな保険のセールスマンになっちまった

でもありがたいことにオレには現実から逃避するキーがあるんだ

今夜オレが何か後ろ暗いことやってニヤニヤしてるのを見かけるかもな

金もあんまりかからないし、結構時間ももつんだ

あ、お巡りさんになんか言わないでな 別に人殺した訳じゃないんだから

ちょっと楽しいことやろうとしてるだけなんだからさ」

何ともジョンのふわっとした歌声とは裏腹のヒリヒリする歌詞ですよねえ。3曲目の「Hello In There」も同じようなアコギとエレピのシンプルな曲に乗せた、こんな歌です。

「オレとロレッタは街にアパートを持ってて、そこに住むのが好きだった

もう子供達が成人になってオレ達の元から去って何年にもなる

ジョンとリンダはオマハに住んでる

ジョーはどこかでどさ回りしてる

デイヴィーは朝鮮戦争で死んじまった 何のためだったのか未だに判らない

古い木は年を追うごとにどんどん太くなり強くなる

古い川は日を追うごとにどんどん川幅を広げていく

でも古い人間はただ孤独になっていくだけ

そして誰かが言ってくれるのを待つだけさ「やあ、こんにちは」って」

淡々とした歌声が逆にストーリーの寂寥さを浮き彫りにするようです。また、ジョニー・キャッシュもカバーした「Sam Stone」のストーリーはもっと強烈。こちらはジョンのアコギとスティール・ギターだけのシンプルさ。

「サム・ストーンは海外の兵役が終わって妻と家族の元に戻ってきた

兵役にいた間にサムの神経は完全にめちゃくちゃになって

彼の膝には榴散弾の破片が残ってた

モルヒネで痛みはしのげるけど頭の回りはだんだん遅くなる一方

そしてパープル・ハート(名誉戦傷勲章)と戦場での悪夢のような経験で

なくなったはずの自信だけはなぜかまだある

オヤジの腕には稼ぐ金が全部つぎ込まれる穴がある(注:モルヒネの注射針跡)

イエス・キリストも確か犬死にだったと思う

小さな水差しには大きな取っ手

立ち止まって年を数えても無駄さ

ラジオが壊れてたら素敵な歌も長続きはしない」

この後、サムはモルヒネ代を調達するために盗みをはたらいた挙げ句、OD(薬物過剰摂取)で死んで、退役軍人の棺桶にかけられるアメリカ国旗を調達するために、軍人債で買った家を処分することになる、という悲惨なお話。ある意味反戦歌ですが、後半に収録されている「Your Flag Decal Won’t Get You Into Heaven Anymore(星条旗のステッカーを車に貼っても今時は天国には行けないんだぜ)」などはもっと直接的な反戦歌です。

ジョンの心に染みる歌声はあくまで普通の人々の苦しい生活を浮き彫りにします。あのボニー・レイットがカバーして、反核運動のコンサート・イベント『No Nukes』でも歌っていた「Angel From Montgomery」は、オルガンやフルバンドも入った、メンフィスやマッスルショールズあたりのサザン・ロックのサウンドの、こんな歌。

「あたしはもう年取った女 名前は母親といっしょ

おやじはただの年食ったもう一人の子供

もし夢が雷で 稲妻が欲望だったら

この古ぼけた家はとうの昔に雷と稲妻で燃え尽きてただろうね

台所にはハエがいて ブンブン言ってる音が聞こえる

今日起きてから何もやってない

朝仕事に行って夜に帰るまで何にも言うことがないなんてどう思う?

あたしをモンゴメリー(アラバマ州の都市で、カントリー・レジェンドのハンク・ウィリアムスが埋葬されている)から飛んでくる天使にして

あたしを昔のロデオの荒馬乗りイベントのポスターに載せて

ひとつだけあたしが支えにできるものをちょうだい

この辛い生活が何とか暮らしていくためには必要だと信じるために」

ジョンのこの頃の作風は、今風に言えばエモ・ラップならぬエモ・フォークだったと思います。でも、彼はそれを陰鬱なサウンドではなく、淡々としたあるときはユーモアも交えたアコースティック・サウンドで語って見せた。このあたりが彼がディランキャッシュやその他の同時代の偉大なアーティスト達からもリスペクトされた所以だと思います。

そして彼の創作は70年代に限らず、その後80年代、90年代、2000年代とコンスタントに作品をリリースして、それらがちゃんと評価されてきました。直近でも、昨年2019年にリリースした最新作(そして彼の遺作)『The Tree Of Forgiveness』はビルボード誌のアルバムチャートで5位初登場という彼のキャリア最高成績をマーク、グラミー賞の最優秀アメリカーナ・アルバム部門にノミネートされ、その受賞は逃したものの、彼はグラミー生涯特別功労賞(Lifetime Achievement Award)を受賞、更にソングライターの殿堂入りも果たし、さあ、これからまた新しいキャリアのフェーズに入る、と思っていた矢先の他界だけに、本当に残念です。

彼の訃報には、ブルース・スプリングスティーン、シェリル・クロウ、キャロル・キング、ボニー・レイット、マーク・ノップラー(ダイア・ストレイツ)、そして作家のスティーヴン・キングも「アメリカ文化の宝を失った」とツイートしていました。彼の他界で失ったものを考えながら、僕らにできることは彼の残した歌に改めて聴き入ることではないでしょうか。

<チャートデータ> 

ビルボード誌全米アルバムチャート 最高位154位(1972/3/4付)