新旧お宝アルバム #1
「Late For The Sky」Jackson Browne (1974)
皆さんはじめまして、今回このヤングスタッフさんのウェブサイトで、新旧の素晴らしい、それでいて意外とスポットの当たっていないと思われる「お宝アルバム」ご紹介のコラムを書かせて頂くことになった阿多真人(あた・まさと)と申します。
私はいわゆる「音楽業界人」ではありませんが、十代の頃から今に至るン十年、全米ヒットチャートへの傾倒をきっかけに、その後ヒット作品に留まらずいろんなジャンルの洋楽を聴き、楽しむことに人生を捧げて来た、 皆さん同様一音楽ファンです。
ただ残念なことにここ最近日本での洋楽人気が一部のファンのみに支えられ低迷傾向にあることを知るにつけ、何とかより多くの音楽ファンに洋楽作品の素晴らしさをお伝えして、もう一度年代を問わず多くの方がいろんなジャンルの洋楽作品を聴き、感動し、購入して日本での洋楽人気が高まるために何かしたい、と思うようになりました。
そんな時にこうした機会を頂いたのも何かの天啓かな、と思ってます。ですので、この機会に「昔の名盤紹介」だけでもなく、「最新アルバム紹介!」だけでもない、古き良きものも、古い洋楽ファンがなかなか聴く機会のない新しく素晴らしい作品も両方ご紹介できれば、ということで「新旧お宝アルバム紹介」という企画になりました。どうか今後よろしくお付き合い下さい。
前置きが長くなりました。第1回の今回は「旧」のアルバムのトップ・バッターとして先日7年ぶり12回目の来日も果たし、また最近静かな人気が高まる、アメリカウェスト・コースト・ミュージックを代表するシンガーソングライター、ジャクソン・ブラウンが1974年に発表した3作目「Late For The Sky」をご紹介します。
ジャクソン・ブラウンといえば、古くからのウェスト・コースト・ロック・ファンの間ではあのイーグルスのデビュー曲「Take It Easy」をはじめ数々の有名曲の作者として、また70年代アメリカン・ロックのメインストリームを代表するシンガーソングライターとして、ここ日本でも根強い人気を持つシーンの代表アーティストの一人。
そうしたファンの間では本作は大変高い人気を持つ作品なのですが、80年代にMTVや小林克也さんの「ベストヒットUSA」で大いに洋楽に親しんだ、現在アラフィフあたりの洋楽ファンの皆さんの多くにとってのジャクソン・ブラウンというと1978年の全曲初録音のライブ・アルバム「孤独なランナー(Running On Empty)」だったり、 映画「初体験リッジモント・ハイ(Fast Times At Ridgemont High)」の挿入歌で全米7位のヒットとなった「誰かが彼女を見つめてる(Somebody’s Baby)」のアーティスト、くらいのイメージであったりすることがどうも多いようで、この傑作アルバムを知るファンは残念ながら実は意外と少ないようです。
事実このアルバムからはシングルヒットも出ていませんし、1977年のイーグルス「ホテル・カリフォルニア」や1978年のドゥービー・ブラザーズ「ミニット・バイ・ミニット」などの大ヒットアルバムで、ウェスト・コースト・ロックがメッセージとサウンドの頂点を極めて爛熟期を迎える遥か昔、まだ日本のレコード会社さんのプロモーションもそれほど強力に行われなかった頃の作品なので、まあ無理もないかなと。
しかしそういうアラフィフ洋楽ファンにも、そして「ジャクソン・ブラウンって誰?」というもっと若い音楽ファンにも、この作品は是非一度聞いてもらいたいのです。
正直、自分が彼のアルバムで一枚選べと言われたら、迷わずこの作品を選びますし、海外の音楽誌やジャクソンのファンの間でもこの作品はほぼ常に彼の作品のトップに選ばれるほど人気が高いことでも分かるように、このアルバムは聴く者の心に響く作品なのです。
アルバム全体は、どちらかというとシンプルで淡々としたメロディーと、ギター、ベース、ドラムス、キーボードを中心とした基本的な楽器構成で演奏される、フォークロック的な楽曲が並んでいますが、感情を掻き立てる個々のメンバーの演奏(特に盟友デヴィッド・リンドレーのスライド・ギターが随所でとても印象的)とジャクソンの歌声の柔らかなトーンが有機的に作用して、個々の曲で一種独特なカタルシスを生み出していることが、聴く者の心をつかむ大きな要因になっています。
この傾向はオープニングのタイトルナンバーや、「Fountain Of Sorrow」、そしてイントロのリンドレーのスライド・ギターでいきなりリスナーを鷲掴みにする「Farther On」、アナログ盤ではA面ラストの「The Late Show」そしてアルバムラストの「Before The Deluge」などで顕著。従ってこのアルバムに思い入れのあるファンが酒を飲みながらこのアルバムを聴くと、このあたりのナンバーで感極まってしまうことも多いみたいですね(私もその一人)。
もうひとつ、このアルバムのポイントは各楽曲の歌詞。彼の作品は常に詞が極めて重要なわけですが、このアルバムは、当時の妻フィリスが自殺直後で宗教的な内省に包まれていた「The Pretender」(1977)や当時中部アメリカ諸国への軍事介入を強めていた米国政府への批判をあらわにした「Lives In The Balance」(1986)、はたまた昨年リリースの最新作「Standing In The Breach」のようにリスナーに何かのアクションを迫る内容ではありません。
むしろ、このアルバムが発表された1974年はジャクソンはまだ26歳の若者であり、アメリカはまだベトナム戦争終結の虚脱感から抜け切れず、ニクソン大統領のウォーターゲイト事件による失脚、第1次オイルショックによる経済的混乱など、これまでの価値観に対する若年層の大きな疑問と不満と不安感が共存する社会文化学的にはカオスの時代。
そんな時代を反映してか、このアルバムでジャクソンが語っている(という表現がふさわしい)のは、人生における人と自分との関わり合いの中から生まれる喜び、悲しみ、戸惑い、驚きといった様々な感情であり、それを淡々と、ドキュメンタリーで伝えるような感覚の歌詞がほとんど。
失われた愛とそれに対する戸惑いを歌うタイトルナンバー、これまでは辛いことも多かったが明日を信じて旅を続けよう、辛い人生を導くのは他人ではなく他ならぬ自分自身の信念だ、と歌う「Farther On」、死とは、人生を通じて踊りを続けるダンサーの一幕の終わりであり、人は自分の生きて来た意味を知ることがない、とスピリチュアルに歌う「For A Dancer」など、思わず考えさせられる詞が多いですね。彼がローリング・ストーン誌に「70年代で最も完成された作詞家」と評された所以です。
こうした思索的な歌詞を、心を掻き立てるようなバンドの演奏と、淡々としたメロディーに乗せながら、しかし一種ゴスペルにも似たカタルシスを作り上げながら歌うジャクソンの歌には、それ以降の作品にはあまり聴かれないストレートなオプティミズムも感じられる、そんなところもこのアルバムの大きな魅力の一つなのです。
なにしろ、一曲一曲聴くごとにメロディや歌、演奏だけでも胸に響くこのアルバム、詞の内容を頭に置きながら聴くと、さらにその感動が増すこと、請け合いです。
空は明るいけども、地上にあるお屋敷のあたりはまだ夜で、そのお屋敷の前にはなぜかピカピカの旧型シボレーが止まっている、という一種幻想的なジャケットだけでも忘れられないこのアルバム、一度手にとって聴いてみられてはいかがでしょうか。70年代アメリカン・メインストリームの音楽シーンでジャクソンが表現しようとした時代と、当時の青年ジャクソン・ブラウンの心情に想いを馳せながら。
<チャートデータ>
ビルボード誌全米アルバムチャート最高位14位(1974.11.30~12.7)
RIAA(全米レコード協会)認定プラチナ・ディスク(100万枚以上売上)