2016.4.18
新旧お宝アルバム #39
『Aquashow』Elliott Murphy (Polydor, 1973)
先週木曜日の晩の最初のM6.2の大地震以来、断続的に大きな余震が続いて現地の被災者の皆さんの不安が絶頂に達している熊本の状況は本当に心が痛みます。一刻も早く余震が収まりますように、被災者の皆さんの生活が一日でも早く通常に復帰しますように、そして一刻も早く政府は川内原発を止めますように!と祈って止みません。残念ながら今回の地震の犠牲になった方々には心より追悼の意を申し上げます。
さて気持ちを取り直し今週の「新旧お宝アルバム!」は「旧」のアルバムをご紹介する番。今回は70年代前半、あのブルース・スプリングスティーンやルー・リードと共に同じ時期に同じNY・ニュージャージー地区から台頭し、パティ・スミスやトム・ペティ、更にはトーキング・ヘッズといったNYを中心としたイースト・コーストの後進のロックンローラー達に大きな影響を与え、今も音楽のみならず執筆やジャーナリズムなど多面的な活動を続ける放浪のロックンロール・シンガーソングライター、エリオット・マーフィーのファースト・アルバムである『Aquashow』をご紹介します。
エリオット・マーフィーについての日本での知名度は残念ながらとにかく低いのが現実。あるファンの方のブログに「これまで何人もの音楽好きの友人知人と音楽談義を交わしてきたけど、この人のファンだという人には出会ったことがない。ディランやスプリングスティーンは好き、テレヴィジョンやパティ・スミスは好き、ヴェルヴェッツもルー・リードも好き。でも、じゃあエリオット・マーフィーは?ときいて、ああ、好きだよ、いいよね、という答えが返ってきたことは一度もない。」という一節がありましたが、熱心なロック・ファンの間でもあまり知られていないエリオットの立ち位置を象徴するような話だと思います。私も名前だけは知っていましたが、その作品に具体的に触れたのはわりと最近で、聴いてみて「こんなに魅力的な楽曲を書く、カッコいいアーティストだったのか」と思ったくらいです。
ディランやスプリングスティーンのようにヒット曲・アルバムを出すわけでもなく(彼の過去のアルバムはおしなべて高い評価を得ているのだがアメリカでも商業的に成功したものはなく、チャートインすらしていない)、かといってルー・リードやヴェルヴェット・アンダーグラウンドのようにロックの歴史でアイコンのように扱われることも少ないエリオット。
しかし彼がこの『Aquashow』で出てきた時には、当時『青春の叫び(The Wild, The Innocent & The E-Street Shuffle)』でブレイクしようとしていたブルース・スプリングスティーンと並んで「第2のディラン」と呼ばれ、ローリング・ストーン誌を始めロック・メディアからは、ストレートなロックンロールスタイルに、売春婦やドラッグ・ディーラー等を登場人物にNYの荒涼とした都会イメージを60年代後半のビートニクを彷彿とさせる詞で表現する新時代のシンガーソングライターとして高い評価を得たのですが、商業的に彼がブレイクすることはなかったのです。
彼はそれでも良質なアルバムを出し続け、90年代パリに居を移し妻子を得てからは、ヨーロッパでライヴ活動も含め精力的に活動していた模様。2009年にUSに戻ってからも1~2年ごとに作品を出し続けていて、昨25年ぶり2度目の来日を果たすのに合わせて、この『Aquashow』の曲をセルフ・カバーした『Aquashow Deconstructed』(2015)をリリースするなど、今も一線の活動を継続しているのです。
[youtube]https://youtu.be/EtQnxLPMGTo[/youtube]
そんなロックの吟遊詩人とでもいうべきエリオットの記念すべきデビュー作『Aquashow』は、ディランとバーズがジャムっているかのような、エレクトリック・ギターのストロークとハーモニカの音色に乗ってエリオットが皮肉たっぷりに歌うビート感満点の「Last Of The Rock Stars」で始まります。ここでの彼のボーカル・スタイルはトム・ペティそっくり、というかトム・ペティが彼の影響を強く受けていることが如実に判るものです。
2曲目の「How’s The Family」はアコギとハーモニカに載せて、デヴィッド・ボウイの「Starman」を彷彿させるサビメロのややスロー目の曲調で、仲違いばかりの夫婦や、麻薬中毒の息子や、不健康な食生活で腹上死した叔父さんといったキャラを登場させて「ところで家族はみんな元気でやってるかい?」と問いかけるという、シャレのきつい一曲。でもそうしたキャラ達への愛情すら感じさせるエリオットの飄々としながら優しさを湛えた歌が印象的なうたです。
3曲目「Hangin’ Out」は正にディランズ・チルドレンでスプリングスティーンの盟友の面目躍如といっていい、ポップなコーラス・リフレインが印象的な前のめりのロック・ナンバー。
と、順番に挙げていくときりがないのですが、いずれの曲もバックの演奏は基本的に最小編成のロックバンド構成に、オルガンとハーモニカが効果的に配されていて、いかにもディランズ・チルドレンと言われる彼の作風を効果的に演出しています。ただしどの曲も決して判りにくいのではなく、楽曲そのものはとてもキャッチーなものが多くて、盟友のスプリングスティーンの楽曲が渋すぎると感じられるくらいなのが大きな特徴。上記の「Starman」を思わせる「How’s The Family」や、フォーク・トリオのピーター・ポール&マリーの「悲しみのジェット・プレーン」がロケンロールに変身した!と嬉しくなってしまうような「Graveyard Scrapbook」など、どこかで聴いたメロディがふっと登場する楽曲がいくつかあるのもこのアルバムの魅力を高めている気がします。
そしてエリオットのボーカルは、いかにもストリートでバスキングをしているロックのシンガーソングライター、という感じ満点で、ちょっとフェイク気味、オフノート気味で不良っぽく歌うのですが何ともいえない哀愁と魅力を湛えていて、スプリングスティーンやトム・ペティとかのロックの好きなファンにはぐっとくるものです。このアルバムで一番のスロー・ナンバーで、あの有名女優を歌った「Marilyn」では「マリリンは俺たちのために死んだんだ」と半ばつぶやくように、物語を語るように歌うのですが、当時のNYの荒涼とした街角が目に浮かぶような静かな迫力と魅力に満ちたうたです。
日本ではシーナ&ザ・ロケッツの鮎川誠やルースターズの花田裕之がエリオットの熱心なファンということで、前者は1990年の初来日の時、そして後者は昨年の来日の時にステージで共演して、アンコールでルー・リードの「ワイルド・サイドを歩け(Walk On The Wild Side)」を一緒にやったようです。このように一部の熱心なファンや彼を敬愛するミュージシャン達に支えられながら、商業的にはさっぱり成功せずとも、コンスタントに作品を発表し続けている(しかもそのほとんどはロック・メディアや他のミュージシャンから高い評価を得ています)エリオット。
今回この『Aquashow』をアレンジを変えながらセルフ・カバーして昨年リリースしたアルバム『Aquashow Deconstructed』も聴いてみたところ、各楽曲ともオリジナルと比べていずれもスローなアレンジなのですが、遙かに深く味わいある渋い音像に変貌していて、そして何よりも40年を経たエリオット自身の歌声が重々しく迫力に満ちた、それでいてオリジナルにもあった飄々としたチャーミングさは依然としてそこにある、とても味のある作品に仕上がっていました。
彼はおそらくこの後も同じようなペースで作品を作り続け、同じように飄々とした身軽さを感じさせるスタイルで、同じように文学的ともいえるストーリーを持っていて、それでいて聴く者の耳にすっと馴染んでくれるそんな楽曲を歌い続けるだろうな、と思わせてくれます。
そんなロックの吟遊詩人、エリオットがまだ24歳の頃に発表した、若々しさとシニカルさと、それでいて都会の孤独を思わせるようなどこか悲しげな表情を湛えながら、生き生きと輝いているこのアルバムにこの機会に触れてみてはいかがでしょうか。
<チャートデータ>
英米ともにチャートインなし