2016.10.3
新旧お宝アルバム #59
『Syreeta』Syreeta (MoWest / Motown, 1972)
ようやく暑い日々も終わり、台風の影響でムシムシした天候不順も少なくなって、やっと肌に涼しい空気が心地よい秋になってきた今日この頃、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?食欲の秋、読書の秋といいますが、是非音楽もこのいい季節に存分に楽しんで参りましょう。
さて今週の「新旧お宝アルバム!」は久しぶりに70年代に戻って、当時アーティストとして大きな成長と変貌を遂げていたソウル界のスーパースター、スティーヴィー・ワンダーが全面プロデュースした、前妻シリータのソロ・デビューアルバム『Syreeta』(1972)をお届けします。
シリータというと、MTVや小林克也さんの『ベストヒットUSA』で育った洋楽ファン世代の皆さんには、1980年に全米4位の大ヒットとなった、ビリー・プレストンとのデュエット「With You I’m Born Again」が頭に浮かぶシンガーだと思いますが、あれは彼女にとっては言わばカムバックヒット。彼女は60年代半ばからシュープリームスやマーサ&ザ・ヴァンデラスといった、モータウンの屋台骨のガールグループのバックシンガーをつとめるなどシンガーとしての活動は早くからやってました。レーベル仲間のスティーヴィー・ワンダーとは1968年に知り合い、彼のすすめでソングライティングも行うようになり、この頃のスティーヴィーの作品にも共作や共演、バックアップシンガーとして参加していました。二人はその後1971年に結婚。残念ながら18ヶ月しか持たなかった夫婦生活解消直後にリリースしたのがこの『Syreeta』でした。
離婚直後とはいえ、その後も長くシリータがスティーヴィーの作品に参加していたことから判るように、二人は親友としての関係は維持していたので、スティーヴィーが全面プロデュースしたこのアルバムはとてもいい形でスティーヴィーの存在が大きくにじみ出た作品になっています。
当時スティーヴィーはムーグ・シンセサイザーの音楽演奏ツールとしての可能性に大きくのめり込み始めた時期であり、このアルバムの半年前にリリースした『Music Of My Mind(愛の詩)』(1972)でムーグを全面的にフィーチャーし、作詞作曲・演奏・プロデュースをほとんど一人でやり遂げた直後だったので、このシリータのアルバムも同様にスティーヴィーが操るムーグが多くの曲にフィーチャーされ、この時期のスティーヴィーの作品の雰囲気をふんだんにもった出来上がりになっています。
当然シリータ本人も、 アルバム9曲中4曲を自作またはスティーヴィーと共作、そのボーカルもミニー・リパートンやダイアナ・ロスを彷彿させる美しい高音と、少し低めでパッショネートな雰囲気を持ったテナーボーカルを情感たっぷりに操り、ちょっとジャズシンガー的なテクニックも随所に見せる素晴らしいパフォーマンスを見せています。
アルバム冒頭からスティーヴィーのクラヴィネットのイントロがスティーヴィーの存在を大きく感じさせるアップビートな「I Love Every Little Thing About You」は『愛の詩』にも収録されていたスティーヴィーの作品。所々にSE的に配されたスティーヴィーの笑い声やつぶやきと、ミニーばりの美しい高音のボーカルやスキャットとの組み合わせが、聴く者を心からハッピーにさせてくれます。
スティーヴィーのフェンダー・ローズと『愛の詩』にも参加していたバジー・フェイトンの抑え気味のギターが心地よい、スティーヴィー作の「Black Maybe」ではシンガー、シリータの面目早くも躍如のセンシュアルなバラード。
二人の共作の「Keep Him Like He Is」はまたまた楽しそうなチャントで始まる軽快なナンバーに乗るシリータのボーカルが心地よいナンバー。そしてシリータ作の「Happiness」はオルゴールのような音色のエレピをバックにシリータが感情表現豊かに歌い上げるミディアムテンポのバラードで、離婚直後の作品とは思えぬほど愛する人への愛と喜びに満ちた作品です。
ビートルズのオリジナルに模した、チェンバロ風のシンセのイントロで始まるカバー曲「She’s Leaving Home」では、スティーヴィーがトーキング・モジュレーター(ピーター・フランプトンやロジャー・トラウトマンが使ってたアレです)で全面バックコーラスする中、シリータが歌う、という多分1972年当時のR&Bの形としてはかなり先進的だったんではないかという、このアルバム一の問題作。
それに対照的に続く「What Love Has Joined Together」はモータウン歴代のアーティスト達にもカバーされてきたミラクルズの名曲。アコースティック・ピアノをメインに、いかにも70年代前半的スタイルでシリータが伸びやかなボーカルを見せますが、ここでの楽曲スタイルはR&Bというよりも、キャロル・キングやローラ・ニーロといったこの時期の素晴らしいシンガーソングライター達を彷彿とさせるもので、シリータの音楽的表現能力の幅広さと高さを実感します。
スティーヴィーのシンセやキーボードの代わりにアコースティック・ピアノが主体の曲がここから何曲か続き、続くスティーヴィーの作品「How Many Days」やシリータ作の「Baby Don’t You Let Me Lose This」もやはりアコースティック・ピアノをバックに、シリータが前の曲同様シンガーソングライター的なスタイルで、前者はしみじみとしたボーカルを聴かせるバラード、後者はミディアムテンポのスケール感のある素晴らしい楽曲を表現力たっぷりのボーカルを聴かせるナンバーです。
アルバムの最後はこの翌年御大B.B.キングがカバーしてヒットさせた、スティーヴィーとシリータの共作曲「To Know You Is To Love You」を、今度は肉声のスティーヴィーとシリータがデュエット、静かなフェンダーローズのイントロから後半はコンガなどのパーカッションやストリングシンセも加わりアップテンポに盛り上げてクロージング、このとてもセンシュアルで、シンガー・シリータの魅力を存分に盛り込んだ素晴らしいアルバムの締めくくりとしています。
スティーヴィーのプロデュースもさることながら、やはりアルバムを聴いて素晴らしいのはシリータの歌声とその表現力です。ミニーばりのハイトーンなボーカルも美しいのですがそれ一辺倒ではなく、さまざまな表情を歌声に乗せることができるボーカル技術を嫌みなくナチュラルに聴かせるあたり、シンガーとしての実力と魅力を感じさせてくれるのです。
シリータはこの後もう1枚スティーヴィープロデュースの『Stevie Wonder Presents: Syreeta』(1974)を発表後、一時エチオピアに渡っていましたが70年代後半にはLAに戻り、ビリー・プレストンとのヒットを含むアルバムなど6枚のアルバムを発表、スティーヴィーの『Hotter Than July』などにも参加するなど活動を続けていました。しかし残念ながら2004年、乳がん治療のための放射線・化学治療中鬱血性心不全のため57歳の若さでこの世を去っています。
この作品は2013年にデジタルリマスターされてユニヴァーサル・ジャパンさんのモータウン55周年企画1,000円シリーズで再発されてますので、手軽に入手できます。これから秋深まる季節、今は亡き素晴らしいR&Bシンガーソングライター、シリータの美しい歌声にぜひ触れてみて下さい。
<チャートデータ>
ビルボード誌全米アルバム・チャート 最高位185位(1972.9.23~30付)
同全米ソウル・アルバム・チャート 最高位38位(1972.8.19付)