新旧お宝アルバム!#79「Soul’s Core」Shawn Mullins (1998)

2017.3.20

新旧お宝アルバム #79

Soul’s CoreShawn Mullins (Columbia, 1998)

この3連休は素晴らしいお天気続きでいよいよ春本番、南の方ではそろそろ桜も咲き始めたとの知らせも入ってくるこの頃、来週のこのコラムをお届けする頃には都内でももうお花見できる状態になってるのでは、と思うと心躍りますね。いい音楽をバックに気のおけない友人と花見、というのもこの季節ならではの楽しみです。

春はジャズやアコースティックな感じの音楽がとても似合う時期。今週の「新旧お宝アルバム!」では久しぶりに90年代の作品で、味と渋みたっぷりのボーカルと物語性たっぷりの歌詞を持つフォーク・ロック的アメリカーナな楽曲で一部のファンに強く支持され、その後も知る人ぞ知る的な活動を続けているシンガーソングライター、ショーン・マリンズの商業的ブレイク作『Soul’s Core』(1998)をご紹介します。

1990年代のアメリカの音楽シーンは、80年代のMTVを中心とした映像中心のヒットを飛ばすポップスターや、シンセサイザーの打ち込みサウンドで大半のトラックを作り込むダンスヒットの氾濫へのアンチテーゼとして90年前後にはシアトルを中心としたインディー・レーベルのロック・バンド達によるグランジ・ムーヴメントの盛り上がりとか、より社会的な視点からのリリックを中心にストイックな音作りによるヒップホップのルネッサンス的隆盛、そして60年代~70年代のカントリー、R&B、ブルーズ、ハードロックといった音楽をルネッサンス的に換骨奪胎してフレッシュなスタイルで聴かせるアメリカーナ・ロックやオルタナ・カントリーといった音楽スタイルが盛り上がった、音楽シーン的には極めて豊かな時代になっていました。

残念ながら70年代からの日本の洋楽ファンの皆さんは、80年代後半の音楽のマスプロ化や打ち込み主体のスタイルに辟易して新しい音楽には背を向けて昔からおなじみの70年代以前の音楽に戻ってしまった方が多かったようです。もう少し辛抱してシーンに耳を澄ませていれば、90年代の素晴らしい音楽に巡り会えていたはずだったんですが。

で、このショーン・マリンズも、90年代にアメリカーナの隆盛に時期を合わせて対等してきた、そんなアーティストの一人。アトランタ出身の彼は学生時代からバンドを組んで主にアコースティックな音楽を中心に活動してきていて、高校時代の友人にはあのインディゴ・ガールズエイミー・レイもいたとのこと。大学卒業後一時期陸軍の士官養成プログラムに身を投じ、陸軍でのキャリアも考えたようですが、やはり音楽を捨てきれずこの道に戻り、地元のアトランタ近辺で地道なバンド活動をしながら実績を積んでいたようです。

その彼をブレイクしたのは、今日紹介する『Soul’s Core』にも収録されているシングル「Lullaby」の大ヒット(全米1999年最高位7位)。トム・ウェイツを思わせるようなしゃがれた低いボソボソ声で歌う、というよりはつぶやくようなファースト・ヴァースからサビに行くところで一気にハイトーンの美しいボーカルでブリッジを歌うあたりは、ラジオで流れていたら一発でハートを仕留められること請け合い、そういう歌です。そしてこの曲は楽曲メロディだけでなく、その歌詞もまるで映画を見ているかのような独特の情景を浮かび上がらせてくれるという意味でもとても魅力的です。

「彼女はハリウッド・ヒルやサンセット・ブールヴァードに住むスターの子供達と一緒に育った

彼女の両親は盛大なパーティーをよく開いてそこにはいろんな人が集まった

彼女の家族はデニス・ホッパー、ボブ・シーガー、ソニー&シェールなんて連中とよく付き合っていたっけ

今彼女はフェアファックス・アヴェニューのこのバーで安全に過ごしてる

ステージの俺から見ると彼女は未だにあの頃の思いを捨てきれず、リラックスできてないのがよく分かる

だから彼女がうなだれて泣き出す前に

俺は彼女に子守歌を歌うのさ

何もかもうまくいくさ ゆっくりお休み

何もかもうまくいくって だからゆっくりお休み」

[youtube]https://youtu.be/hG9C0VwruXE[/youtube]

LAの社交シーンの退廃感とそこで自分を見いだせない女性のことを、トム・ウェイツ的なつぶやきと美しいハイトーンのボーカルの組み合わせと、アコースティックで優しいメロディで包むようなこの歌は、おそらく聴く者の心の琴線に触れるものがあったに違いなく、ショーンに取ってはブレイクヒット、しかし彼唯一のヒット曲となりました。

個人的なイメージでショーンの音楽スタイルを一言で表現するなら、「グランジを通過してきたクリス・クリストファーソン」。作る楽曲スタイルはいわゆるアメリカーナに分類されるシンプルなアコースティック寄りのアメリカン・メインストリーム・ロック曲ですが、バンドのリズムセクションの使い方やエレクトリックギターの使い方に明らかにグランジあたりの影響を聴いて取れます。そしてボーカルスタイルは明らかにクリスマール・ハガードといった70年代の無頼派のややロック寄りのカントリー・レジェンド達の強い影響を受けていますが、時々聴かせる伸びやかなテナーからハイテナーのボーカルは、ただのカントリー・ロック・ボーカリストでは片付けられない個性と才能を感じるのです。

同時期にアメリカで大ブレイクしたフーティー&ザ・ブロウフィッシュのリード・ボーカル、ダリウス・ラッカーあたりと作る楽曲スタイルはとてもよく似ているのですが、フーティーズがあくまでも「90年代のイーグルス」的なポジショニングだったのに対し、ショーンのアプローチは明らかに「ロックっぽいナッシュヴィルのシンガーソングライター」的なものでした。

そしてこのアルバム収録の他の曲は、「Lullaby」に続いてシングルカットされ、よく似た楽曲スタイルでアダルト・トップ40チャートで小ヒットとなった「Shimmer」を初め、衰退していくアメリカの地方都市の状況を16歳の少年の目から描き、いつかはここを出て行くんだ、とアコギ一本でトルバドゥール風に歌う「Ballad Of Billy Jo McKay」や同じくアコギ一本で亡き友を歌ったと思われる「Patrick’s Song」、もう15年も電車に乗り続けて旅する37歳の男がもう長いこと海の塩の匂いを嗅いでないから、といってオレゴン州の海岸に来て、同じようにヴァンの乗って町から町にコーヒー・ハウス・ギグのギャラとチップでその日その日を過ごしているミュージシャンと会う、というストーリーを淡々と歌う「Twin Rocks, Oregon」などなど、歌詞カードを見ながら彼の楽曲を聴くと、本当に目の前に映画のような映像がヴィヴィッドに浮かび上がって来ます。

このアルバムのもう一つのハイライトは、クリス・クリストファーソンの「Sunday Mornin’ Comin’ Down」のカバー。エルヴィスを初め多くのアーティストにカバーされたクリスのこの有名なスワンプ・バラードをクリス直系だけあってショーンは見事に自分のものとして歌いきっています。

このシングルとアルバムのブレイクで一躍注目を浴びたかに見えたショーンでしたが、続く『Beneath The Velvet Sun』(2000)も同様にビジュアルなイメージを想起する質の高い楽曲満載の意欲作だったにもかかわらずチャートインすらせず、この後しばらくソロ活動をお休み。その間、2002年には同じく90年代を代表するシンガーソングライター、マシュー・スイートとオルタナ・フォーク・ロック・シンガーのピーター・ドロウジとスーパー・バンド、ソーンズ(Thorns)を結成。素晴らしいアコースティック・ロック・アルバム『The Thorns』(2003)をリリースして、一部に高い評価を得ましたが、広く知られるまでには至っていません。その後2006年以降は『9th Ward Pickin Parlor』(2006)、『Honeydew』(2008)、『Light You Up』(2010)、そして最新の『My Stupid Heart』(2015)と質の高い作品を地道にリリースしているようです。

桜の季節になった今、歌詞の想起するイメージに身を任せながら、ショーンの心にしみるようなアコースティック・サウンドと味のあるボーカルによる楽曲をじっくり楽しんでみてはいかがでしょうか。

 <チャートデータ> 

ビルボード誌全米アルバムチャート最高位54位(1998.11.28付)