武田さんのナイル・ロジャースのライブ・リポートを読んだら、どうしてもこのアルバムに触れたくなった。70年代後半から80年代にかけて活動していた、ブラック・ミュージックの歴史上において非常に重要なバンド、シックの大出世アルバム『C’est Chic』に!
78年11月に発売されたニュー・ヨークのバンド、シックのセカンド・アルバムが『C’est Chic』。ジャケットに写っているのは、男性3人と女性2人で一応5人組グループの体裁となっているけど、実質上はナイル・ロジャース(ギター)とバーナード・エドワーズ(ベース/ヴォーカル)を中心に、ドラマーのトニー・トンプソンが据えられた3人組バンドみたいなものだ。ファースト・アルバム『Chic』(77年)からヒットした「Dance, Dance, Dance(Yowsah, Yowsah, Yowsah)」(78年6位)、「Everybody Dance」(78年38位)を耳にしていた時点では、ほとんどの人が(スタイリッシュなファンク・テイストを感じ取れはしたが)一過性のディスコ・バンドくらいに捉えていたように思う。しかしこのセカンドからの先行シングル「Le Freak」、及びアルバムを聴いた瞬間、時代を創り出す波がグッとシックに寄り添ってきたと感じた人が多数なのではないだろうか。それほどこの『C’est Chic』、というか「Le Freak」は衝撃的な革新性を伴っていたと確信する。世を席巻していたディスコの味付けは残しつつも、イースト・コーストの雰囲気と欧州ダンサブル・テイストを絶妙に醸し出し、一聴してナイルのギターとわかるあの特徴的カッティング/ズレそうでズレないバーナードのファンキー・ベース、どこかスノビッシュながらも大衆に訴求するポップなメロディ・センス…すべてが混然一体となって迫り来る結果、“シック・サウンド”がこの時点で完成されていたことは間違いない事実だ。78年といえば、ディスコ全盛真っ只中ではあったが、ダンス・ミュージックの潮流がディスコからファンクへ、さらにはその先の広い意味での(ブラック系)ニュー・ヨーク・サウンド(さらにさまざまな枝分かれが為されるが)へと移行する前夜みたいなもので、シックがこのムーヴメントに与えた影響は計り知れない。シックはこの『C’est Chic』をもってして大衆音楽界に新たな潮流を作りだしてしまったわけだ。「Le Freak」と「I Want Your Love」の大ヒットが、翌年のシスター・スレッジの復活へとつながり(「He’s The Greatest Dancer」79年9位、「We Are Family」79年2位)、一気にポピュラー・ミュージック界は“シック・サウンド”を求めて“シック詣で”現象を引き起こしたのは当然の結果であろう。実際80年代後半までに、ダイアナ・ロス、デボラ・ハリー、マドンナ、デヴィッド・ボウイ、デュラン・デュラン、インエクセス、果てはB-52’s等々に至るまで、ナイル・ロジャース&バーナード・エドワーズがプロデュースしたヒット作品は枚挙に暇がない。サード・アルバムからのヒット「Good Times」(79年1位)が後の大衆音楽(特にヒップホップ!)に与えた影響も多大なものがあるが、“シック・サウンド”の礎が築かれた作品という意味では、やはり『C’est Chic』はグループ・レパートリーの中では最も重要なアルバムなのだ。
女性コーラスが添えられるもののほぼインストでナイルのギターが思う存分堪能できる衝撃の「Chic Cheer」(フェイス・エヴァンス「Love Like This」のサンプリング・ソース!)で幕を開ける本作、欧州風味なインスト・ジャジー・ダンサー「Savoir Faire」、バーナードのヘタウマヴォーカルがかえって良い味を滲みださせる「Happy Man」「Sometimes You Win」、スロウにして反復の美学が敷き詰められた「At Last I Am Free」、汗を感じさせない新感覚なスタイリッシュ・ファンク「(Funny)Bone」…バラエティに富んでいそうで実は統一性のある一貫したオリジナリティを感じさせるアルバムで、まさしくこれこそが“シック・サウンド”の誕生だったわけだ。ちなみに78年11月25日付の「Hot 100」にて、「Le Freak」が37位から6位にジャンプ・アップするという、当時にしてはあり得ないチャート・アクションに大興奮した「全米トップ40」リスナーはかなり多く存在しているはずで、今だ語り草になっているとか。
<チャート・データ>
アルバム『C’est Chic』78年4位
シングル「Le Freak」78~79年6週1位/ブラック・シングル1位/ディスコ1位
「I Want Your Love」79年7位/ブラック・シングル5位/ディスコ1位