*Vol.4‐1/2 『III』/Gap Band

チャーリー・ウィルソンの最新アルバム『Love, Charlie』が先日ビルボードのアルバム・チャートで4位を記録、40年選手のベテラン・シンガーが気を吐いた。もちろんこのチャーリーは70年代から80年代にかけて人気を博したファンク・バンド、ギャップ・バンドのリード・シンガーで、90年代以降はソロ・シンガーとしてブラック・コミュニティから絶大な支持を得ている稀代のソウルフルな歌い手だ。このスティーヴィー・ワンダー直系、そして“ヴォイス・オブ・ガイ”アーロン・ホールへと継承された、ソウルフルなこねくり&しゃくりあげ歌唱の使い手、チャーリーが在籍していた“80年代ファンク”隆盛の一角を担ったギャップ・バンドの名盤『III』(80年)を熱く紹介したい。

 ギャップの話しの前にチャーリーの立ち位置というか過小評価気味な彼の功績について述べたい。最新アルバムにおいても彼独特な、しゃくりあげ唱法や“シャバダバ、ドゥイドゥイドゥ~”のフレーズもまだ健在だったのが嬉しい限りだったが、チャーリーといえば再三指摘されている通り、スティーヴィー・ワンダー直系のソウルフル・シンガー、一貫してその歌い方は基本的に変わっていない。

 ソウルの歴史を紐解けば、何人かのレジェンドを根幹とする唱法が脈々と継承されている。ゴスペル・シンギング、サム・クック、ジェイムス・ブラウン…特にソウル・ミュージックの礎を切り開いたサムの影響は大きく、ボビー・ウーマックやジェラルド・アルストン等々、フォロワーは枚挙に暇がない。もちろんスティーヴィーは根幹からの派生シンガーとして捉えられるが、あの特徴的唱法・シャウトに、80年代以降フォロワーが出現し始めるという現象が起こる。特に顕著だったのが90年代前半のニュー・ジャック・スウィング(NJS)・ムーヴメントに伴う新人男性ヴォーカル・グループ大隆盛の時期だ。おそらくこの頃にデビューしたグループのメンバーたちの幼少期~青春期において、崇拝すべきアイドルとしてスティーヴィー・ワンダーはあまりに大きな存在感を示していたのだと思われる。それほどまでに90年代前半にデビューした一連の男性コーラス・グループのリード・シンガーには、スティーヴィー・フォロワーが多く存在していた。デビュー曲「Knockin’ Da Boots」(93年3位)が大ヒットしたHタウンのリード、ディノなんぞは典型例と言えよう。ここで私が声を大にして言いたいのが、このようなスティーヴィー~NJS系ヴォーカル・グループという系譜の間には、二人の忘れてはならないシンガーが存在しているということだ!

スティーヴィー~チャーリー・ウィルソン~アーロン・ホール~NJSシンガー

スティーヴィーのくだりが長かったけど、ようやくチャーリーの登場となる。

70年代後半からスティーヴィー直系の歌声を惜しげもなく披露していたチャーリー。そのチャーリーをヒーローと崇めるシンガーこそが、NJSの創始者テディ・ライリー率いるガイのリード・シンガー、その名も“The Voice Of Guy”アーロン・ホールなのだ!ガイの革新性を伴った衝撃的デビュー(88年)は、もちろんテディ・ライリーの手腕に拠るところが大きかったのは異論をはさむ余地がない。ただしその成功と後の雨後の竹の子のごとく出現した“NJSフォロワー現象”は、、アーロン・ホールの存在抜きには語られない。アーロンの鬼気迫るハード・シンギングは、あの独特なNJSビートにエモーショナルかつクールな空気を盛り込み、ダンス・フロアでの機能性を2倍にも3倍にもする役割を果たしていた。90年代前半のヴォーカル・グループ群のリード・シンガーたちは、少なからずNJSの影響下にあるのは明白で、(コンシャスかどうかは別にして)すなわちはアーロン・ホールのフォロワー的立ち位置にいるということだ。延いてはチャーリー・フォロワーと解釈できるもので、90年代以降のチャーリー再評価、あるいはポイント毎でのコンテンポラリー・アーティストによる起用に関しても、どことなく合点がいく。まさしくブラック・コミュニティから絶大な支持を得ていたギャップ・バンド~チャーリー・ウィルソンは、だからこそ80年代後半から90年代に出現してきた若きブラック系シンガーたちに目に見えてあるいは見えない含め、いつの間にか大きな影響を与えていたのだ。そういう意味では、チャーリーはもっともっと評価されてもいいシンガーである。(続く)