新旧お宝アルバム!#152「The Dynamic Superiors」The Dynamic Superiors (1975)

お知らせ

2019.8.5

新旧お宝アルバム #152

The Dynamic SuperiorsThe Dynamic Superiors (Motown, 1975)

7月後半はフジロックへのフル参戦など個人的に忙しく、しばらく間が空いてしまいましたこの「新旧お宝アルバム!」、ここのところの連日の猛暑を払うためにはいい音楽、ということで今週は久しぶりに70年代ソウルの名盤ながら、熱心なソウルファンの間では大変知名度も人気も高いものの、一般の洋楽ファンの皆さんにはそれほどお馴染みがない、というのがいかにも惜しい、ワシントンDC出身のコーラス・グループ、ザ・ダイナミック・スーペリアーズのデビューアルバム『The Dynamic Superiors』(1975)をご紹介します。

既にソウル・R&B関係のレビューや書籍では語り尽くされた感のあるこの名盤、今更ながら取り上げるのはソウルファンの先輩方からの突っ込みを頂きそうで甚だ不安なのですが、ここは敢えてそうした名盤をソウルファン以外の皆さんにも知って頂きたい、という趣旨で取り上げますので、是非暖かい心でご覧頂きたいと思います(笑)。

伝統的なソウル・ミュージックにおいて、一つのスタイルとして「コーラス・グループ」というものがあるのは皆さんご存知の通り。1970年代はそのスタイルが一つの絶頂期を迎えた時期でした。60年代から活躍してそのモメンタムをがっちり持続していたモータウンテンプスフォー・トップス(後にダンヒル/ABCに転じますが)や「Oh Girl」のシャイライツといったベテラングループは言うまでもなく、ドラマティックスIn The Rain」、スタイリスティックスBetcha By Golly Wow」、ブルー・マジックSideshow」などなど、このデケイドは数々の名曲・名唱でファンを虜にした新しいコーラス・グループも続々登場、さながらソウル・コーラス・グループ百花繚乱の様相を呈した時代を形成していました。

そんな中、1963年にワシントンDCで結成以来、苦節10年を経て1960~70年代に隆盛を極めたモータウン・レーベルとの契約がかない、レコーディングにこぎ着けて今日ご紹介する『The Dynamic Superiors』をリリース、ソウル・シーンで大きな成功を収めることができたのが、リードのトニー・ワシントン、ファースト・テナーのジョージ・スパン、セカンド・テナーのジョージ・ピーターバックJr.、バリトンのマイケル・マカルピン、ベースのモーリス・ワシントンの5人からなる、ザ・ダイナミック・スペリアーズ

このアルバムの素晴らしさはいろいろあれど、リードのトニーの美しく艶やかなファルセットと、2人のテナーの達者な歌唱とそれをサポートするバリトンとベースによる、当時の並み居るコーラスグループと比較しても実力充分のグループ歌唱力と、当時はモータウンの強力ハウス・ソングライティング・チームだったアシュフォード&シンプソンがほぼ全曲作曲とプロデュースを手がけた楽曲群のクオリティの高さが、このアルバムを実にソリッドなコーラス・グループの名盤にしている二つの大きな要素だと思います。

そしてもう一つ、トニーは当時としては珍しく自らがゲイであることを公言して、ステージにもドラッグの出で立ちでしばしば登場していたという、今のLGBTQムーヴメントのはしりのようなアーティスト。当時ブラックでゲイであることを公表するのはとても勇気のいることだったと思うけど、彼の時折天にも突き抜けるような美しいファルセット・ボーカルにはそうした自信が満ちていることも、このアルバムを通じて感じることです。

https://youtu.be/H9Y9ee3kY4g

アルバムは彼らの代表作の一つで最初のナショナルヒット、クラシックなコーラス・グループ・スタイルの楽曲「Shoe Shoe Shine」で始まりますが、これがのっけからトニーのファルセットが炸裂する70年代ソウル王道の名曲バラード。ソウルファンの間ではつとに有名なこの曲、作者のアシュフォード&シンプソン自身もかなり気に入った出来だったらしく、彼ら自身のライヴで自分が書いた数々の名曲メドレーをやる時にもこの曲を交えることが多かったといいます。

テナーがリードを取って他のメンバーがコーラスに徹する、ミディアムテンポのこれまた王道の楽曲「Soon」に続いて、ドラマティックなイントロからまたまたトニーのリードが素晴らしく、後半サビにかけてメンバーのコーラスが絡んで感動的に盛り上がる「Leave It Alone」は個人的にもこのアルバムのベストカット。ソウルチャートでもこの曲が最初のヒットで最高位13位を記録した、事実上彼らのシーンでの地位を確固たるものにした曲です。

https://youtu.be/pkb-8rgW5bs

なお、この「Leave It Alone」とA面最後の「Romeo」のアレンジを担当しているのが、この直後スタジオ・ミュージシャンによるスーパーグループ、スタッフに加入して70年代後半~80年代にかけてのフュージョンシーンで活躍、数々のポップヒットのバックやアレンジも担当したリチャード・ティー(kbd)。このアルバムでは彼の他に、ヴァン・マッコイとの仕事で有名なリオン・ペンダーヴィスアーサー・ジェンキンスら実力者のスタジオ・ミュージシャンがアレンジを担当するなど、当時モータウンとしては万全の布陣で臨んでいた自信作であったことが窺えます。

アッパーなリズムながらしなやかなメロディとメンバーのコーラスが素晴らしい「Don’t Send Nobody Else」で引き続き盛り上がった後、A面は静かな始まりからサビから「いろんな女の子を経験したけど君の前では僕はただの男の子/君が僕を1人の女性しか愛せない男にしたんだ」というベタな歌詞ながら後半盛り上げるバラード「Romeo」でA面は終了。

https://youtu.be/LGAcOFc61UE

B面も最初のトニーのファルセットが再び炸裂する「Star Of My Life」から始まって、トニーの真骨頂ともいえるドラマチックな展開のバラードナンバー「Cry When You Want To」、後期のフォートップスを彷彿させるテナー・リードのアップテンポナンバー「I Got Away」、ストリングスを配したサザン・ソウル的な味わいから後半フィリー・ソウル風に展開する素敵なミディアム曲「One-Nighter」を経て、最後もサビのコーラスとリードの掛け合いに思わず頬がほころぶ、安定の王道ソウル・ナンバー「Release Me」でアルバムは余韻を残して終わります。

アルバムはチャートインできなかったものの、シングル「Shoo Shoo Shine」がナショナルヒット、「Leave It Alone」がR&Bヒットとなったのにモータウンも気を良くしたか、次のアルバム『Pure Pleasure』(1975)でも同じくアシュフォード&シンプソンを起用して、そこそこのヒットを達成。

しかしプロダクション・スタッフを大幅に入れ替えた『You Name It』(1976)は商業的には不発に終わり、起死回生のつもりだったのか、モータウン黄金期のソングライターチーム、ホランド兄弟プロデュースで、彼らの曲を中心としたほとんどがカバーのアルバム『Give And Take』(1977)でもマジックを再現することはできず。

モータウンとの契約も切られ、グラディス・ナイト&ザ・ピップスの「夜汽車よジョージアへ!」のアレンジや「Dynomite」のバズーカで有名なトニー・カミロが立ち上げたレーベルから、1980年には最後のアルバム『The Sky’s The Limit』をリリース。この時はトニー・ワシントンの代わりにレーベルオウナーのトニー・カミロがボーカルを務めたりしてるので、まあこの辺が潮時だったのでしょう。

本来得られるべきであったレベルの商業的成功や、ジャンルを超えた人気などを勝ち得るには至りませんでしたが、今聴き返してもこのアルバムは、当時のザ・ダイナミック・スペリアーズのメンバーがアシュフォード&シンプソンや腕達者のサポート・ミュージシャン達と作り出すマジックがぎっしり詰まっている、それこそ珠玉のような作品です。ソウルをこれからもっと聴いていきたい、何かソウルのいい作品はないか、という向きには心よりお勧めできる、そういうアルバムです。このアルバムが皆さんに一筋の涼風をお届けできますように。

<チャートデータ> 

チャートインせず